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県読みきかせグループ連絡協議会顧問 小林 茂利(前橋市表町1丁目)



【略歴】東京商科大(現一橋大)専門部卒。元県職員(商工労働部長で退職)。自宅で児童図書室を開設したことも。「ミズチの宝」で県文学賞受賞。2000年から現職。



作家と音読


◎語り口の見事さ広がる



 私ごとで恐縮だが、一九二三年生まれだから、ことし八十五歳になった。小学校一年生のときの国語教科書は「ハナ・ハト・マメ・マス・ミノ・カサ」で始まった。今ではほとんど見られない雨具のミノが出てくるところが時代である。この教科書は一八年から使われ、三三年からは「サイタ・サイタ・サクラがサイタ」、四一年からは「アカイ・アカイ・アサヒ」になる。どの時代のこどもたちも、大きな声を出して音読したものである。

 夏目漱石が『吾輩は猫である』を書きはじめたのは〇五(明治三十八)年、漱石三十九歳のときだが、俳句雑誌「ホトトギス」に初回が載ると大人気となり、初回だけでやめるつもりだった漱石は二回以降も「ホトトギス」に連載することになる。

 荒正人の『漱石研究年表』によると、印刷になる前の原稿を高浜虚子が朗読したということであり、雑誌に掲載された時には、やはり虚子が「山会」と称する文章会で朗読したという(山会のメンバーは伊藤左千夫、長塚節、坂本四方太、虚子など)。

 同年三月にも、虚子は漱石宅で“猫”を朗読し、二人で笑ったという。虚子は漱石の謡仲間であり、漱石よりだいぶ上手だったらしいから、朗読も聞きごたえがあったと思われる。

 当時の文化人は、概(おおむ)ね漢詩文の教養が高く、漱石もかなりの量の漢詩を作っている。吉川幸次郎は、漱石の漢詩は平仄(ひょうそく)の誤まりもほとんどなく、見事だとほめている。平仄というのは漢字の四声(平声、上声、入声、去声)の組み合わせのことだが、詩の韻律を整える工夫である。だから漱石は文字の視覚的印象と、音韻的印象の両方を理解していたはずである。

 『源氏物語』の文脈を受けつぐ樋口一葉なども、『にごりえ』『たけくらべ』などの自作を音読していたにちがいない。幸田弘子が音読したCDなどが市販されているが、音読された一葉の作品はそれ自体一つの宇宙を形成している。

 新しいところでは、太宰治なども音読していたと思う。『新釈諸国噺』『お伽草紙』あるいは『走れメロス』などを読むと、そんな感じがある。メロスなど、書きようによっては鼻持ちならぬ作品になりかねないのを救っているのは、太宰の語り口の見事さで、音読をしてみると別の宇宙が広がってくる。





(上毛新聞 2008年11月11日掲載)