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県自然環境調査研究会員 斉藤 裕也(埼玉県小川町)



【略歴】横浜市出身。北里大水産学部卒。環境調査の専門家として尾瀬ケ原、奥利根地域などの学術調査に参加。ヤリタナゴ保護に取り組み、ヤリタナゴ調査会会長。



利根川のサケ


◎回帰した姿に触れて



 利根川のサケ二十個体に発信機をつけて追跡調査をしたのは二〇〇一年のことでした。県庁前から千代田町の利根大堰(おおぜき)まで約五十キロの距離を、サケからの発信音を受けるためにレシーバーを耳に装着し受信機を持って舟下りを何回か行いました。さらに利根大堰から十キロと二十キロ上流の川の深い所に、事前に受信機を設置して、何月何日の何時何分に発信機を取り付けたサケがそこを通過するか分かるようにしました。その結果、十九個体の記録を得ることができました。

 これらの結果から利根川のサケの産卵場は、五料橋付近から上武大橋の下流あたり(伊勢崎市)ではないかと推定しました。当時はまだ利根大堰の魚道を通過するサケは千尾程度で、川で直接に産卵する状況はなかなか確認できませんでした。その後、遡上(そじょう)数は飛躍的に増え、昨年は五千尾に近くなり、あちこちで産卵している姿が確認できるようになりました。

 利根川のサケは近い過去に、ほぼ絶滅したのではないかと思われる時期がありました。戦後間もないころは、玉村町を中心とした地域でサケの漁獲は盛んに行われ、統計にも数トンの漁獲量が計上されています。しかし、高度経済成長期の一九六四年、東京オリンピック開催に向けて水の足りない東京都に利根川の水を送るために利根大堰は建設されました。この年の十月に伊勢崎市八斗島地先で確認されたサケの産卵床を最後に、利根大堰上流でのサケの確認情報はほとんどなくなりました。

 そして八二年、群馬県と埼玉県がサケの稚魚を放流し、翌八三年から利根大堰の魚道で遡上調査が始まったのです。サケは二年から六年(多くは四年)かけて北洋で成長し、成熟して生まれた河川に回帰してきます。調査初年の八三年に確認されたサケは二十一尾、この中には人の手による放流でない、元から利根川に回帰していたサケも含まれていたはずです。

 それから十五年たち、九六年までで埼玉県が放流を取りやめたことにより転機を迎えます。両県が行ってきた利根川へのサケ稚魚放流は、九七年からは群馬県のみとなり、これが現在まで継続されています。

 利根川にサケの稚魚を放流するようになって二十五年以上がたち、ここ数年の間に群馬県は次のステップへと移行しています。従来の稚魚放流に加えて利根川に遡上してくるサケの卵の採取を始め、その稚魚を放流しています。来る二十日午後一時に利根大堰で、皆さんの見ている目の前で、群馬県の職員によって利根川産のサケから卵の採取が行われ、その場で受精も行われるのです。利根川に回帰してきたサケに直接触れる数少ない機会なので、ぜひ行って触れてください。






(上毛新聞 2008年11月15日掲載)