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中央大政策文化総合研究所客員研究員 島村 高嘉(東京都国分寺市)



【略歴】前橋高卒。1955年に一橋大卒後、日本銀行入行。国庫局長、審議役などを務め退職。その後、防衛大学校、中央大で教授、麗澤大で客員教授を経て現職。



金融危機


◎悲観論に陥らず冷静に



 いま、「米国発金融危機」が波紋を広げ、世界経済に深刻な影響を及ぼしている。先進国と新興国とを問わず、各国の金融市場は大荒れに荒れ、株価にしても為替にしても動揺がなかなか収まらない。対岸の火災視していた日本であったが、ここにきて決して例外ではないことが判明した。連日、市況の動向や経営の苦境が、そして当局の緊急対策が大きく報道されている。恐らく事態の収拾や立ち直りにはなお多くの曲折があるに違いない。ともかく世の中は、内外とも悲観一色の様相を呈している。

 波紋が、ここまで拡大し深刻化してしまったのにはさまざまの要因があるようだ。震源となった米国住宅バブルの進行(二〇〇〇―〇六年)、度を越した金融自由化の進展(証券化の手法や、金融投機商品の派生など)、国際化に立ち遅れた金融監督機能の整備等。

 加えてもう一つ、私がここで見逃せないと思うのが、世の指導者たちによる「行き過ぎた悲観論」の発信である。その代表例が米国FRB前議長グリーンスパン氏の発言だ―「いま世界は信用危機のツナミに襲われている」「今次危機は百年に一度の危機だ」と。財務長官ポールソン氏にしても「深刻な事態だ、未曾有の危機が迫ってきている」と。ノーベル経済学賞受賞の高名な学者サミュエルソンやステイグリッツ氏にしても「大恐慌の再来、淘汰(とうた)の荒波だ」などと発言している。

 発言の真意は「警告」であろうが、こうした過激な発言が諸国民の不安心理をあおり、「悲観論が悲観を呼ぶ」ことになっている。これでは自縄自縛だ。慎慮ある言動が望まれる。

 渦中にあっても冷静さは失ってはならない。一九三〇年代のあの大恐慌時代と今日とは、経済のセーフティーネットの面で格段の相違があるはずだ。預金保険にしろ、失業保険にしろ当時はなかった。マネーの弾力的供給の面でも、管理通貨制の今日、大きな自由度が付与されている。国際協調の面でも、為替のスワップ(交換)網などが広く張られている。責任ある立場の中央銀行や政府当局にあっては、世の不安心理を鎮めるべく、こうした安全弁の側面も強調しつつ、それらの機能発揮に万全を期していただきたいものだ。

 もう一点、悲観論の行き過ぎには、それに先行した楽観論の行き過ぎがあったはずだ。日本の八〇年代のバブルの例をひくまでもない。米国でも、九〇年代後半のITバブルの前例もあったわけで、為政者は、「金融に関する記憶は極度に短い」(ガルブレイス)などと嘲弄(ちょうろう)されないためにも、そうした失敗からも多くを学んでほしいものだ。







(上毛新聞 2008年11月16日掲載)