視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
県ソフトボール協会理事長 高橋 義明(高崎市井野町)



【略歴】日本体育大卒。元県高校教員。2006年から現職。08年から関東協会理事長、日本協会理事・ルール委員長。現在も地元チーム選手として活躍。県体協強化委員。



金メダルの余韻


◎五輪種目への復活を



 夢を諦(あきら)めなかった、北京オリンピック日本代表女子ソフトボールチームの金メダル獲得おめでとう。八月二十一日、北京の豊台球場で日本女子ソフトボールの悲願であった金メダルが、上野由岐子投手ほか十四人の胸に掲げられた。上野投手は三試合連投の四百十三球。「世界一の投手」を本県の応援団とともに内野スタンドで見ることができた。優勝した瞬間、応援団の仲間と肩を抱き合い、「君が代」を大合唱し、その夜は乾杯、乾杯の連続であった。

 ソフトボール競技は、オリンピック正式競技となった第一回のアトランタで四位、第二回シドニーで二位、第三回アテネで三位、そして第四回北京で一位。その四大会のうちアテネを除く三大会を現地で見ている。

 シドニーの銀メダル授与は激しい雷雨の後に行われ、外野スタンドで「おめでとう銀」の横断幕を妻と持っていた。この横断幕は勤務していた高校の生徒が作ったもので、金、銀、銅が用意されていた。雨でぬれた横断幕は帰りにごみ箱に入れてきた。日本に帰ってから生徒に「先生、テレビに映っていたよ」と言われ、録画のビデオを見て世界放映されていたことを知った(思えば宝物を捨ててきたような気がした)。

 一九六四年の東京オリンピックは高崎・群馬音楽センターに夜間並んで入場券を購入(八〇メートルハードル)。続いて七二年の札幌冬季オリンピック(七〇メートル級ジャンプ)、九八年の長野冬季オリンピック(九〇メートル級ジャンプ)と、日本で開催されたオリンピックは一部であるがその場で観戦をしている。特に、札幌オリンピックの七〇メートル級ジャンプは、笠谷、金野、青地の日本人三選手が金、銀、銅を獲得し、三つの日の丸が揚がるところをジャンプ台横の観覧席で見ることができた。

 さて、日本中を感動させたソフトボールであるが、四年後、ロンドンのオリンピック大会では除外される。その大きな理由はヨーロッパやアフリカなどの地域での普及が遅れているからである。北京の閉会式で、日本、米国、オーストラリアの選手がボールで2016と地面に文字を書いた。Back Softball…オリンピックの復活!

 北京オリンピック後に、日本女子ソフトボールリーグが全国各地で開催された。先月十一日から十三日まで高崎・城南球場で行われた第八節高崎大会のうち、十三日のルネサス高崎と太陽誘電の対戦を観戦したが、球場は大観衆で盛り上がった。試合後、オリンピック選手六人を含め両チームによる、小・中・高生対象のクリニックが行われた。オリンピック復活に向けた選手の熱い願いがクリニックの参加者に伝わっていた。実現するよう願わずにいられない。







(上毛新聞 2008年11月17日掲載)