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かみつけ民話の会「紙風船」会長 結城 裕子(高崎市金古町)



【略歴】新潟県出身。桜美林大卒。祖母から昔話を聞いて育った口承の語り部。現在、かみつけ民話の会「紙風船」会長として語りとともに、読み聞かせ活動も行っている。



口承の語り


◎一期一会の心の世界



 私はおばあちゃん子である。祖母はひとり娘を早くに亡くし、その愛まな娘によく似た私を大変かわいがってくれた。両親が働いていたこともあって、私はいつも祖母の傍らにいた。つらい時、悲しい時、祖母は私の顔を見ると、すぐにそれを察し、「おここ、なあしたがら。こっち来いや」と膝ひざの上に抱き上げ、昔話をしてくれたものだ。私は祖母の胸に鼻を押しつけて、祖母の温ぬくもりとともにその話を聞いた。

 そんな時、祖母は私がねだればどんな話でもしてくれた。真冬に夏の話だろうが、真夏に冬の話だろうが、私の祖母に限っていえば、お構いなしだった。ただただ孫娘を喜ばせたい一心だったのではないか。当時の祖母の年齢に近づいて私はそれを実感するのである。

 祖母は亡くなったが、祖母の語ってくれた昔話はその温もりとともに私の中に残り、今度は私が「口承の語り部」として、たくさんの人にその昔話を語っているのである。

 子どもが幼かったころ、よくスキーの帰り道などで渋滞した時、その車中の暗闇の中で延々と昔話を語り続けたものである。私にとって、その時の語りは子どもとのスキンシップであり、遊びの一部であった。語るということは、日時を決め、練習を積んだ特別な行為ではなく、自然発生的にどこででも始まることであった。それは、お互いの心と心が触れ合う楽しいひとときだったのである。祖母と私との間においても同じことがいえる。

 私が昔話を語る時、頭の中に文字は一字も浮かんでこない。文章を暗記したものではないからである。頭の中には、映画やテレビのような映像が浮かんでくる。それを自分自身も楽しみながら話しているのである。だから、語る言葉も、書き言葉ではなく話し言葉になる。私はそれが口承の語りの大きな特徴だと思っている。そして、同じ話でも、その時々に応じて語る時間の長さも口調も変わってしまうのである。

 今の私にとって、語るということは、一期一会の世界であり、上手か下手かではなく、楽しいか楽しくないかという心の世界なのである。それが、口から口へと言い伝える「口承の語り」だと、私は思っている。

 ところで、「語り部」という言葉であるが、本来は「上代、文字のなかった時代に、朝廷に仕えて、歴史、伝説などを語り伝えることを職とした者」を指すのである。私はけして、そのような者ではない。しかし、「語り部」という言葉も「語りをする者」という意味ですでに市民権を得ており、ほかに適当な言葉も見当たらない。そういう訳で私は今、自らを「口承の語り部」と名乗っているのである。






(上毛新聞 2008年11月23日掲載)