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NPO法人国際比較文化研究所所長 太田 敬雄(安中市鷺宮)



【略歴】米国の神学校で宗教学修士号を取得。弘前大、新島女子短大などでの教職を経て、8年前にNPO法人国際比較文化研究所を設立、同所長となる。




異なる文化



◎批判しない、縛らない



 私の人生に大きな影響を与えてくれたいくつかの言葉がある。その中で、今日の私の多文化交流・共生のための活動の原点となったのは日常生活の中の一見単純な一言だった。

 米国に留学して一年ほどたったある日、私は英語の先生のお宅に食事に招かれた。まだ米国の文化をよくは理解しておらず、大学の寮にいた私は食事のマナーなど普段は気にもしていなかった。だから先生のお宅で「いただきます」を英語でどう言えばよいのだろうなどと迷い、どのように食べればよいのか、戸惑いながら皿を見つめてしまった。そんな時に先生から私に掛けられた一言。

 「どんな食べ方をしてもどこかの国のマナーに合っているから、好きなように食べなさい」

 日本を出る前に、「スープをいただくときは音をたてないようにしなさい」「パンは一口サイズにちぎって食べること」「フォークやナイフでカチャカチャ音を立ててはいけない」などなど、幾つかの洋食のマナーを断片的に教わってはきたが、現実にはどうすればよいのかわからなかった。

 「正しいマナー」に縛られていた私は、この先生の一言で解放された。そこには異なるマナーが認められ、受け入れられる世界があった。この先生の一言を契機に、私は世の中には多くのマナーや価値観があり、尊重されるべきことに気付かされていった。

 東京オリンピックの二年後、私は最初の留学から帰国した。そこで私は「正しいマナー」にがんじがらめになっている日本と出合った。当時、洋食を食べる時、人々は一斉に右手にナイフ、左手にフォークを持って、ナイフでそのフォークの背にご飯をのせて食べていた。私が右手にフォークを持って食べると無言の非難の目が集まったものだ。

 自分の生きる社会の文化、そこでのマナーはしっかりと身につけたい。しかしそのマナーで別の文化を持つ人を縛ったり批判したりしてはならない。それこそが多文化社会の「マナー」だ。

 先日、インドネシアからの留学生が数日わが家に来てくれた。彼女は焼き魚のサンマを美味(おい)しそうに食べていたが、少しして「インドネシア風に食べてもいいですか」と言い出した。それまで箸(はし)を器用に使っていたが、彼女の文化での食事はフォークとスプーンで食べる。魚は素手で食べるのだという。馴(な)れた仕草(しぐさ)でサンマを食べる姿は、見ていても綺麗(きれい)だった。彼女にとってそのサンマは箸で食べるより何倍もおいしかったに違いない。

 これからも、違いを受け入れ、認め合う生き方をしたいものだ。





(上毛新聞 2008年12月6日掲載)