視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
脚本家  登坂 恵里香(横浜市瀬谷区)



【略歴】】渋川市出身。早稲田大第一文学部卒。会社員を経て脚本家に。主な作品にテレビドラマ「ラブの贈りもの」「虹のかなた」、映画「チェスト!」(小説も発刊)など。


ガンバル


◎努める人の姿は美しい



 「ガンバル意味ってなんですか?」

 これは、二〇〇八年春に公開された映画「チェスト!」に宣伝担当者がつけてくれたキャッチコピーである。「ガンバル」と片仮名表記がされているところに、近ごろこの言葉が置かれてる地位の微妙さが表われていて興味深い。

 実はここ数年、人々が「がんばる」ことに価値を置かなくなっている風潮が個人的にとても気になっていた。書店に並ぶ本の題名や、歌の歌詞を眺めてみても「頑張らない介護」「ありのままの自分でいい」などなど、「頑張る必要なんかない」というメッセージの方が主流のようだ。「我に張る」が転じて「頑張る」になった、この漢字表記がごり押しを連想させて印象が悪いのかもしれない。努力しても結果に結び付きにくい、今の時代背景も大きく影響しているとは思う。

 が、「頑張る必要なんかない」という時代の声とともに、多くの人々が大切なものまで放棄してしまっているのではないだろうか。

 「がんばらない」を提唱する人が本当に伝えたいのは「自分が悲しくなるほど、まわりを責めたくなるほど無理をしてはいけない」ということであろう。「ありのままの自分でいい」とは、自分以外の人間になろうとしなくていいということであって、「人として良くなろうとする努力をしなくていい」と勧めているわけでは決してないはずだ。

 「自分がなれる一番いい自分になろうと努めること」

 時代の価値観がどんなに変わろうと、これだけは変わらない「人の道」ではないだろうか。なのに今、多くの家庭で学校で、この「良くなろうと努めさせること」にさえ、腰が引けていないか?

 居残り勉強、という言葉を近ごろとんと聞かない。跳び箱が跳べるまで放課後先生と特訓などという話が伝われば、「跳び箱が跳べないのもその子の個性。特訓など教師の単なる自己満足だ」と冷ややかな批判さえ浴びかねない。が、「この子はやればできる」と心から思うなら、どうかがんばらせることをためらわないでほしい。「跳び箱が跳べないのも個性」という言葉は、やれるだけやった爽(さわ)やかな汗の中で当事者が笑って口にする台詞(せりふ)ではないだろうか?

 自分がなれる一番いい自分になろうと努める人の姿は美しい。そんな「がんばる」子供たちの尊い姿をぜひとも映画で確認してほしい。




(上毛新聞 2009年1月11日掲載)