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前橋工科大大学院工学研究科教授  小林 享(前橋市鶴が谷町)



【略歴】】新潟県出身。運輸省港湾技術研究所主任研究官などを経て2001年から現職。工学博士。著書『移ろいの風景論』(土木学会賞)『食文化の風景学』(観光著作賞)等。


景観づくりの基


◎美徳の再定義が必要



 初出が一九〇五年、ドイツ語Landschaft(ランドシャフト)の訳語である「景観」という言葉が世に出て早一世紀を過ぎた。すっかり市民権を得たこの言葉のほかに、もっと使い込まれてきた「風景」がある。こちらは『懐風藻』(七五一年)が最初という。双方、歴史の長短はあるものの共存し味わい深い。大方の人はどのような意味を持つのかを知っているはずである。だから敢(あ)えて両者を使い分ける必要はないだろう。

 さて、大抵の場合それぞれの景観にはそこに住まう人々の精神が映し出される。丁度(ちょうど)、人の相貌(そうぼう)や立ち居振る舞いに人柄が表れるのと似ている。そしてその集積が地域地域の風景の印象を導く。この印象の中身は景観の綻(ほころ)びに呼応し、良い場合も悪(あ)しきケースもある。

 綻びとは何か。たとえば、美とは無縁を決め込む汚れた住宅地、秩序や品を感じられない商店街、野立て看板が林立し良い眺めを放棄した観光道路、無理な場所に植栽され哀れみすら誘う緑地、山里の風景を傷つける携帯電話基地局のアンテナの乱立等々を指し、枚挙にいとまがないのである。誘目性や視認性や伝達範囲などが自(おの)ずから優先されたからである。お気づきであろう、こうしたことはここ群馬県も例外ではない。

 景観は、人の心を反映すると同時に、環境に対して人々の心の中に生成されるイメージの母胎でもある。よく手入れされた環境や眺めの中で暮らしていれば、自然に心も美しくなり美的感覚も磨かれる。その逆であれば、心は段々と荒(すさ)んでゆくこととなる。大人でもそうであるから、多感な子供なら尚(なお)のこと深刻である。通学路のごみや、いかがわしい看板には危険や誘惑が潜む。

 風景とは、自分だけが、自分の時代だけが良ければ、あとは知らぬ存ぜぬでは済まされない。大人から子供へと伝わり、世代から世代へと継承される心の問題を含んでいる。理想は、自分が引き継いだときよりももっと美しくすることである。そのためには、まず自分の住む所に愛着を持つことが必要であろう。いわゆる地元意識や郷土愛の醸成というもので、それが地域美化へと繋(つな)がる。

 その基となるのは何か。集団で暮らすわれわれが、円滑な社会生活を営むためには一定のルールを前提とする。法制度は自明だが、それ以前に、たとえば「お天道(てんと)様が見ている」などを範とするような、曰(いわ)く言い難い理性に訴える約束事が重要なのだ。形而上学に踏み込むのではないが、それを社会的美意識として据えるためには、几帳面(きちょうめん)で綺麗(きれい)好き等々、長らく日本人の美徳とされてきたものの再定義が必要なのであろう。




(上毛新聞 2009年1月14日掲載)