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邑楽町教育委員長  加藤 一枝(邑楽町光善寺)



【略歴】】群馬大教育学部卒。教員として片品南小などに務め、結婚後退職。病院の理事をしながら自宅で茶道教室「令月庵」を主宰。2003年から邑楽町教育委員長。


田んぼの茶会


◎生命育む大地忘れまい



 邑は、「むら」、音では、「ゆう」と読む。人々が集まる集落の意。この邑楽の地に、積み重ねられた地球の記憶は何なのか? ここを生きる子どもが感じる、ふるさととは何なのか?

 茶室は、大宇宙の凝縮といわれる。それならば、大宇宙のまさに何も無い、邑楽の水田地帯の真ん中で、自然や文化を大切にし、おいしいお米を作る人々と実りの秋に感謝しながら一服の茶を楽しもう。そう考え、「邑楽で子どもを育てる会」では、一昨年十月、三六〇度見渡す限りの、黄金(こがね)色に波打つ秋妻の田んぼで、茶会を開いた。

 「田んぼの茶会」―稲穂と夕日と月の刻(とき)―

 六反の休耕田を、エントランスから奥の茶席まで、軽トラ六台で固めた。子どもが走り回れるように。

 当日は、朝から、さらさら、さらさら、雨が降った。「雨が降っても、ここでいい! 雨も自然。感受する」と決めた。午後二時、始まりと同時に、雨はやんだ。

 茶は、子どもがもてなした。袴(はかま)をつけてお点前をした男の子は、「すがすがしい空気の中での茶会は楽しかった」。また、「稲がさわさわ揺れる音が聞こえてきました」と。

 地平線近くに沈む、真っ赤な夕日は、刻々と大地を朱に染め、天には“鈴なり”の星明かり。三百本の蝋燭(ろうそく)の揺らめく中で『源氏物語』を朗読。手燭(てしょく)のもとに茶を点(た)てた。真っ赤な毛氈(もうせん)に佇(たたず)む子ども、大人。セッティングされた大宇宙は、まさに映像の世界。私たちを生み落とした宇宙の不思議に、皆、心奪われた。

 田んぼは、生活の糧であり、大事な労働の場である。だから、私たちも感謝を込めて一服の茶を点てた。「八十五年ここで生きてきたけど、こんな楽しい日はなかったよ」と、おばあちゃん。その言葉の中に、ここに生きた生の深さと豊かさを、感じさせられた。私たちの生命(いのち)を育(はぐく)むこの大地。一服の茶には、生命を生み落とした一滴の雫(しずく)のようなものを思う。

 公園でもない、家の中でもない、邑楽にある農業の地での夢のようなあの茶会は、昨年は「邑(むら)の映画会」に重なりできなかった。「うちの田んぼが空いているよ」―。やってほしいと多くの人に望まれた。空いているよ、の言葉に不安を抱いて行ってみた。茶会のとき黄金色に実った、道を挟んでの田んぼは一面黒々の土だった。あちこちに稲穂は無い。

 今、日本は、自国の食料で生きることに困難をきたす。これで、子どもを心豊かに育てられるのか? 豊かな実りを見た子どもは、「毎日食べているごはんはコレ」と思ったはず。

 陽(ひ)と土と水の恵みを得、心を込めて作られた、稲の生命を頂いて、私たちの生命があることを、生きていく節々で思い出していこう。田んぼには黄金色しか似合わない。




(上毛新聞 2009年1月26日掲載)