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NPO法人国際比較文化研究所所長  太田 敬雄(安中市鷺宮)



【略歴】米国の神学校で宗教学修士号を取得。弘前大、新島女子短大などでの教職を経て、8年前にNPO法人国際比較文化研究所を設立、同所長となる。



歴史や社会、文化



◎立ち位置で見え方違う



 私が住む所は安中市の南のなだらかな丘陵地帯。すぐ近くには碓氷川南岸の通称「磯部たんぼ」がある。そこからは正面に榛名山、右手に赤城山、そして左手に妙義山と、上毛三山が一望できる。

 のんびりと横たわっている榛名、裾(すそ)を広げて立つ赤城、そしてロックバンド歌手気取りで髪を逆立てている妙義。さらには榛名、妙義の肩越しに、煙草(たばこ)を一服しながら覗(のぞ)き込んでいるような浅間山も加わり、見ているだけで楽しい。

 この景色を見ながら車で渋川まで走ると、刻々と山の姿が変わる。正面に榛名を見ながら出発し、榛名の裾をぐるっと回って、渋川に着くころには榛名は左に、赤城は右に見えてくる。変わるのは山の見える方角だけではない。

 渋川から見る榛名と安中から見る榛名はまるで別の姿をしている。渋川の榛名は「のんびりと横たわっている」のではなく「坐禅を組む人」のようにも見える山だ。

 社会だとか文化、あるいは歴史もまたこの榛名と同じように、人の立ち位置によって全く異なる様相を呈する。その違いを比較してどれが正しいか議論することは、どの榛名が正しい榛名か議論するようなものだ。

 私たちは、異なる立ち位置から見たときに生じる違いを知ると、その両方を榛名の姿として受け入れる。そのような姿勢が人間社会を見る上でも大切なのだ。

 社会や文化はともかく、歴史となるとなかなかそうはいかない場合が多い。

 例えばイスラエルとハマスの争いを日本の視点から見て「和平」を訴えても説得力はないだろう。一方では千年以上にわたる戦いの歴史と、一九四八年のイスラエル独立を双方の立場から見、他方では「人の命よりも大切なもの」を持つ双方の文化を踏まえなくては解決の糸口にもならない。

 日中・日韓の歴史観の相違についても同じことがいえる。

 世界の平和を望み、その実現に向けて努力をするには、歴史はそれを見る立場によって全く違った姿になることを肝に銘じることから始める必要がある。

 社会や文化も同じで、その中で生活する者の見方であってもそれだけが「正しい」のではなく、それも一つの見方にすぎないと認識しておきたい。「井の中の蛙(かわず)」が知らないのは「大海」だけではない。外から見た「井の中」がどう見えるかさえわからないものだ。

 世界平和を望むなら、世界の人々と社会観、文化観、歴史観、価値観を語り合い、受け入れあうことから始めなくてはならない。何が正しいかではなく、違いを受け入れあうことが大事なのだ。




(上毛新聞 2009年2月2日掲載)