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精進料理研究家  高梨 尚之(沼田市)



【略歴】駒沢大卒。曹洞宗永福寺住職。元永平寺東京別院の料理長。ウェブサイト典座ネットで食育説法を発信。主著『永平寺の精進料理』『典座和尚の精進料理』など。


仏法をどう説くか



◎伝統と革新のバランス



 「ご住職のレシピ本通りに味つけしたが、いまひとつ納得いかない」と言われることがある。おもに調理上級者に多い不満である。

 それもそのはず、レシピは本来不完全な伝達手段である。たとえば大根は季節や産地によって風味が大きく異なるし、醤油(しょうゆ)や塩も同じだ。食べる者の体調や好みも千差万別。だからこそ繊細な精進料理では、レシピにとらわれず自分の舌で確認しながら、柔軟に味を調えることが大切なのだ。

 そのため禅道場では古来レシピや調理マニュアルを敬遠してきた。規格化しようにも、文字で微妙なニュアンスを十分に伝えることはできない。そこで、師の指導のもとで努力と工夫を重ね、文字に頼らず繊細な伝統の味を体で覚え、生きた技と心を受け継いでいく「口伝(くでん)」が重視されるのだ。

 しかし、私はそれはあくまでも禅の修行者にのみ通用する伝統だと考える。

 調理初心者に対して「塩や砂糖は適量、私の味を盗みなさい」ではあまりにも不親切だ。修行道場の口伝方式をそのまま一般向けの精進料理教室に持ち込むのはナンセンスであろう。

 初学者には、繊細な味はさておき、まずは料理を完成するための調理手順と、大さじ○杯、△ミリリットルという具体的な分量の提示が必要なのである。レシピに従って何度か調理し、慣れてから次第に高度な調味に取り組めば良いのだから。

 そうした信念のもと、私は門外不出の秘伝だった禅寺の精進料理をレシピ化し、三冊の書籍を刊行した。すると安易なレシピ公開は伝統の味を誤解させて危険だ、あくまでも道場内での口伝を貫くべきというお叱しかりを諸先輩方から頂いた。

 しかしそれでも私は、より多くの方に精進料理の素晴らしさを伝えるためには、不完全なレシピであっても積極的に活用する価値は十分にあると愚考する。

 禅や精進料理では、まずは実際に自分でやってみることが何よりも重要だ。私の寺を訪れて興味本位に精進料理を食べてみたいと考えるのではなく、皆さん自身がレシピ本を手にとり、実際に自宅で調理を体験して食べてもらうことが私の願いである。自分で実践してこそ、その素晴らしさがより深く理解できるのだ。

 先輩方のご意見も確かに尊いが、今までと同じ保守的な姿勢を続けてはやがて仏教はひからびてしまう。

 伝統を重んじつつ、相手の立場を考えた新たな試みに挑戦する姿勢が、今こそ求められていると思う。すでに多くの僧侶がそうした工夫に取り組んでいる。

 「お経や説法は難しくてわからない方がありがたい」という時代はもう古い。

 難解な仏教をわかりやすくかみ砕いて説き、また各家庭で実践できる具体的な方法を親切に提案することが、今私たち僧侶に課せられた課題ではないか。和尚も変わらなければ。 合掌




(上毛新聞 2009年4月11日掲載)