視点 オピニオン21
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青山学院大総合文化政策学部准教授  宮澤 淳一(東京都杉並区)




【略歴】沼田市出身。青山学院大、早稲田大卒。トロント大客員教授などを経て2008年4月から現職。著書『グレン・グールド論』(吉田秀和賞)、『マクルーハンの光景』など。



大学生の勉強法(中)



◎ノートはすべて取る




 前回のオピニオン(四月七日付)で、上級の学校に進学したときの勉強法の「切り替え」について書いたが、ノートの取り方もそうだ。小中学校ならば、板書中心でよいかもしれないが、受験対策ならば、暗記事項をまとめたノートを独自に作りもするだろう。それらについては詳しい方におまかせするとして、ここでは文化系の大学生の「講義」科目のノートの取り方について私見を述べたい。

 講義とは、大学の教員が、得意の専門領域に関して、研究内容と研究方法をじかに伝授する場だ。通常は九十分。教室や規模も大小さまざまで、当該分野の基礎知識を徹底的に叩(たた)き込む講義もあれば、教員本人の研究の最先端を披露してくれる講義もある。

 そしてどの講義にも共通するのは、漫然と聴いていたら、ほとんどノートを取らずに九十分が終わってしまう点である。

 多くの指南書には、講義をよく聴き、大事なことだけをノートに書くように、とある。だが私はこれは難しいと思う。講義のどこが大事かなんて、内容を初めて聴く学生にはその場ではわからない。そもそも「講義」は「講演」とは違う。講演ならば、いくつかおもしろい話が印象に残ればよいが、講義とは、濃淡はあっても、内容はすべて重要であり、その講義の場でしか紹介されない知見の宝庫かもしれないのだ。

 また講義とは「学者」の思考の流れの実況中継である。学者がどんな発想で議論を展開するのかは記録に値する。これも要点を選んでいたらこぼれ落ちてしまう情報だ。

 私の勧める大学の講義のノートの取り方の原則は「すべて書く」だ。最初から無理だと決めつけるなかれ。できる限りでいいから書き取る。雑談すら書く。雑談はあとで講義内容を臨場感をもって思い出すために貴重な情報だ。筆記機械になるのは嫌だという声もあろう。しかし、慣れてくれば書きながらでも十分に考えられるようになるし、教員がつまらない冗談を言ったら、視線を上げて、にやりと微笑(ほほえ)んで牽制(けんせい)するくらいのことはできる。

 ルーズリーフは薦めない。綴(と)じたノートブックで、左ページだけに書いていく。また左ページの左端には項目欄を設けておいて、授業後や試験前に論題やキーワードを記入する(そこだけを見て講義内容を暗唱してみよう)。右ページは自分で調べたことをあとで書いたり、資料を貼(は)り付けたりして、定期試験や提出課題に備えるのだ。

 昨今の大学では教員側が上手に教える工夫に努めている。しかし学生はそれに甘んじるのではなく、その先を行こう。学生が一言一句をノートに書き取るのを見れば、教員はおのずと気を引き締め、講義の質を上げざるをえなくなる。





(上毛新聞 2009年5月4日掲載)