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県立ぐんま昆虫の森園長  矢島 稔(東京都台東区)




【略歴】東京都出身。東京学芸大卒。昆虫生態学専攻。1961年、動物園に日本初の昆虫部門創設。87年に多摩動物公園長就任。99年から現職。日本博物館協会棚橋賞受賞。



美しい自然の風景



◎「環境」を意識して





 シダレザクラの3本の大木が満開になっているのを初めて見た。まさに花の滝といえる美しさに、ただ圧倒された。少したって、有名な桐生市新里町のサクラ草の群落を見に現地を訪れた。道をはずれて谷間に下りると、新緑の林があり、その林床にほんのり赤い花弁が体を寄せ合うようにかたまり、それが細長く続いて林の奥の方まで伸びている。

 なんと美しい、日本らしい情景だろう。平日だったせいか、周りには誰もいないので、道端に腰を下ろした。全体としては風景だが、このサクラ草は周りの林、腐葉質の多い土地、U字形の蛇行する地形によって風をある程度やわらげられ、伸びた樹木の枝と葉が刻々と日なたと日陰の位置を変える中で、春に花をつけることができるのであり、周囲の環境を一つずつ確認した。

 つまり、県内には平地も丘陵も、そして渓流もたくさんあって、そこに住む人は、生まれた時から変わらないこういう状態が当たり前になっているので、あらためて見たり考えたりしようと思わないのは当然かもしれない。

 しかし、私は東京で生まれ育ち、小さいころは周りが大根畑だったし、田んぼのあぜを壊してはいけないと、何度も注意されて大きくなった。ところが戦争で連日空襲を受けて多くの家が焼け、亡くなった人もたくさん見た。

 戦後、畑は見る間に住宅地になり、川はコンクリート張りの溝になって、原っぱや池や沼は無くなってしまった。

 気がついたら一面コンクリートジャングルで、高層ビルが年ごとに多くなり、それは今も続いている。しみじみとサクラ草の群落が見られる目の前の風景と、都会の草一本生えていない便利だが騒々しい状態を比べると、人を取り巻く環境の違い、特に子供たちの体験の差は、とり返しのつかないものになりつつあるという恐れを感じざるを得ない。

 人は馴(な)れると意識的にそれを見ようとしなくなるものだと思う。周りに自然はたくさんあるのだが、ある生物を対象に選び、それを中心に生きるために必要な条件を考える時、初めて風景は「環境」としてとらえられるものであり、漠然とみんな知っていると思っていても、それは環境ではない。

 むしろ、いつも見ていない所へ行って違う景色だと思った時、人は環境を意識することができるのではないだろうか。私も学生時代、尾瀬へ行ってそのショックで目覚めたが、考えれば、日本の代表的な非日常的空間の一つが尾瀬といえるのではないだろうか。






(上毛新聞 2009年6月24日掲載)