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群馬大非常勤講師  辛島 博善(千葉市稲毛区)




【略歴】慶応大文学部史学科卒。東京外語大大学院地域文化研究科博士前期課程修了。モンゴル国立大大学院地理学研究科留学。2008年から群馬大、前橋工科大非常勤講師。



草原の砂漠化



◎遊牧に大きな影響も




 一説によれば、英語で草原を意味するステップ(steppe)という語はイネ科スティパ(Stipa)属の植物に由来するそうです。モンゴルには「ヒャルガナ」と呼ばれるスティパ属の草が生える草原があり、そうした草原は典型的な、あるいは文字通りのステップと言えそうです。

 しかしながら、私が調査で滞在していたモンゴル国の北東部に位置するヘンティー県のある村では、近年、このヒャルガナを見かけなくなったと言われます。「ヒャルガナがなくなって草原ではなくなってしまった」と述べる人もいました。この発言は、ステップの由来であるところのスティパ属の草がなくなり、自分たちの暮らす草原がステップではなくなってしまったということを意味しています。そしてヒャルガナに代わって出現した見慣れない植物を前にして彼らは、草原が「ゴビになってしまった」とさえ言います。

 ゴビ砂漠といえば、日本人にとってともすれば郷愁をかきたてられるかもしれませんが、日本人のイメージする砂漠とは異なり、ゴビとはモンゴル語で「砂礫(されき)性の土地」を意味し、森林や草原とは植生の異なる場所のことを指しています。ちなみに、モンゴル国にはゴビという語を含む県名も存在するように、地名にもよく用いられています。もちろんゴビと呼ばれる地域でも遊牧民が暮らしていますが、草原の地域の遊牧民の暮らしとは若干異なります。

 草原の地域と比較して、一般にゴビでは乾燥地に適しているとされるラクダやヤギが多く飼養され、宿営地の移動の距離が長く、その回数も多くなります。草原がゴビになってしまうということは、遊牧民にとって単に風景の問題ではなく、従来の遊牧の仕方に大きな変更を迫る可能性さえある事態です。

 実際、こうした近年の環境変化によって、私が調査で滞在していた草原に暮らす遊牧民たちは、これまでよりも頻繁に宿営地の移動を行ったり、管理する家畜の頭数や群れの構成を考慮したりと、頭を悩ませていました。言うまでもなく、その選択に失敗すれば、彼らは生活の基盤である家畜の多くを失うことにもなりかねないのです。

 21世紀のモンゴルの遊牧社会は草原がステップでなくなるほどの変化のただ中にあります。モンゴルの遊牧社会でさえ、もはや素朴に自然と共生している社会と理解することができなくなっています。環境問題を身近なものとして考えることはもちろん大切ですが、それがわれわれの日常から遠く離れた草原の世界でも起こっているということを、時には意識していただければ、と思います。






(上毛新聞 2009年7月9日掲載)