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県臓器移植コーディネーター  稲葉 伸之(館林市大島町)  




【略歴】新日本臨床検査技師学校卒。千葉県内の病院に勤務後、青年海外協力隊に参加。帰国後、県立がんセンターを経て総合太田病院ME課(臨床工学)に勤務。



臓器提供と家族




◎必要な温かい思いやり




 私が、群馬県臓器移植コーディネーターとして活動してきたこれまでの約10年で、多くの家族に対応させていただいた。本人の臓器提供意思表示カードの提示や家族からの申し出、医療スタッフからの声がけにより臓器提供に関する説明インフォームドコンセントを行い、臓器提供をされたドナー家族もいれば、ドナーの医学的問題や親戚(しんせき)や身内の反対などで総意が得られず、臓器提供できなかった家族もいた。

 それらの家族はいろいろな生活環境で暮らしており、構成だけでも、大家族、核家族、一人暮らし、わけあって離婚されていたり、多くの親戚がいる家族、遠い親戚しかいない人もいる。また、子供も成人とは限らず、小さなお子さんだけだったりするときもある。

 ある男性のケースでは、妻が臨月でお産のため病院に入院、母親がくも膜下出血で同じ病院に救急搬送され脳死状態となり、臓器提供を考えるものの、妻の出産のことも頭から離れない。このため、男性や親戚とわれわれとで話し合い、生まれた子供の産声を録音し、寝ている母親の耳元で聞かせてあげて、安らかに見守った家族。また、妊娠9カ月の女性が里帰り分娩(ぶんべん)の帰省中に、母親が脳疾患で脳死状態になり、女性と夫、父親、兄弟ともに臓器提供を決意。提供後に無事出産、「母が無事にこの子を産ませてくれました。天国で見守ってくれている母親の分も一生懸命生きて行きます」と、しっかりとした言葉で話された家族もいる。

 夫が自ら命を絶とうとして脳死状態、残された妻と義母とで臓器提供を承諾したが、小学生の子供たちへの配慮と対応に困惑し、われわれ臓器移植コーディネーターと何度も相談。妻が子供たちにすべてを打ち明けたところ、「みんな知っているよ! いつ話してくれるのかと思った」との返事。家族全員で見送りしてから臓器提供に至ったこともあった。

 それぞれの家族の事情は、個々人が育った環境や時代、人間関係、教育などによって異なり、親子や夫婦の絆(きずな)もさまざまに変化し複雑化してきている。そして、それらの家族は、臓器提供の際にも、悲しみの中で、悩み、戸惑い、考え、最善の結果を決断している。ドナー家族でもある小説家の柳田邦夫氏が体験をつづったノンフィクション小説「犠牲(サクリファイス)わが息子・脳死の11日」でも、息子の死の受容まで1週間、ベッドサイドで悩み考え抜いた様子がわかる。

 私が対応してきた家族は、この臓器提供を通して、人の温かさや思いやり、多くの人の協力や助けを感じ、今を生き抜こうと努力していると思った。臓器提供・移植は、温かい思いやりの心が、関係する多くの人に必要な医療と私は考えている。






(上毛新聞 2009年8月25日掲載)