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共愛学園前橋国際大学長   平田 郁美(高崎市上中居町)  




【略歴】横浜国立大卒、都立大大学院修了。理学博士。横浜国立大助手などを経て共愛学園前橋国際大教授。2008年4月から現職。県地域新エネルギー詳細ビジョン策定委員。



被爆した中学生の記録




◎核兵器の罪深さ伝える




 「いしぶみ―広島二中一年生全滅の記録」(広島テレビ放送編、ポプラ社)という本がある。64年前、広島原爆投下時に爆心から500メートルのところで建物疎開の作業をしていて全滅した県立広島二中1年生の記録である。1969年、広島テレビ放送が制作し、日本テレビをはじめ全国21のテレビ局で放映され、芸術祭優秀賞ほか数々の賞に輝いた「碑」という番組を本にしたものだ。

 1945年8月6日、広島の上空600メートルで炸裂(さくれつ)した原子爆弾は、わずか10秒で広島を壊滅させた。35万人の広島の人々のうち、14万人がその年のうちに亡くなり、64年たった今も、原爆の傷に苦しむたくさんの人々がいる。科学技術の発展が人類に与えた負の遺産の中でも核兵器の罪深さは、瞬時に、大量で無差別な殺戮(さつりく)・破壊が起こるという意味でも、死に至るまでの苦しみの凄惨(せいさん)さという意味でも、また、長い時を経た後も放射線障害が人々を苦しめるという意味でも、群を抜いている。

 広島原爆投下の朝、広島二中1年生をはじめ、8000人を超える12~13歳の少年少女が、爆心地点近くで、空襲に備えてあらかじめ建物を間引く建物疎開作業に動員されていた。突然、彼らの頭上わずか600メートルで原爆が炸裂し、最も重篤な急性放射性障害を引き起こす量の放射線、鉄も沸騰させる3000~4000度の熱、立っていることのできないほど強い台風のさらに10倍の速さの風速300メートルの爆風がおそった。ひとたまりもなかっただろう。

 「いしぶみ」は、どのようにして亡くなったか遺族から聞いてわかった226人の子どもたちのことを一人一人紹介している。彼らは、致命的でかつ凄惨な苦しみを伴う傷を負いながらも、渾こんしん身の力をふりしぼって生き延びようとする。傷ついた友をいたわり、家族を気遣い、最後まで希望を捨てない。子どもたちのひたむきさと、その不条理の死が、それぞれの遺族によって語られる。淡々とした語り口の中に、悲しみが凝縮され、胸に迫ってくる。

 原爆を投下したエノラ・ゲイに乗っていた元航空士は「われわれは与えられた任務を遂行した。後悔していない」と言いつつ、「何人か集まるとイラクに原爆を落とせばよいという人が必ずいる。しかし、核兵器がどういうものか知っていればそういうことは決して言わないだろう」と言っている。

 核兵器とはいかなるものかについて「いしぶみ」は静かに訴えている。亡くなった少年たちと同世代の子ども向けに書かれているが、子どもたちはもちろん、大人にもお勧めだ。多くの人にぜひ読んでいただきたい。






(上毛新聞 2009年9月12日掲載)