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尾瀬保護財団企画課主任   安類 智仁(渋川市金井)  




【略歴】玉川大農学部卒。第3次尾瀬総合学術調査団員を経て、尾瀬保護財団に勤務。2008年度は尾瀬沼ビジターセンター(福島県桧枝岐村)の統括責任者も務めた。




尾瀬を守る



◎歴史に学び次世代へ




 尾瀬では草紅葉が最盛期を迎えています。秋晴れの日には錦秋に彩られた湿原と、青空を映し込んだ池塘(ちとう)との対比が私たちを美しく迎えてくれます。10月上~中旬には草紅葉に続いて周りの森が紅葉し、月並みな表現ですが箱庭的な美しさがぐっと増します。その美しさを横目に、私はこの1カ月間で至仏山に5回、燧ケ岳に2回登山してきました。その目的は登山ではなく、登山道横にある湿原や草原の復元作業の下見で、体力的には厳しかったですが、作業の合間に見る尾瀬の風景やさわやかな秋風に癒やされながらの1カ月間を過ごしました。

 木道が敷かれていなかったころの尾瀬では、登山者の踏み荒らしによって湿原の荒廃が進んだため、昭和40年代から湿原の復元作業が始まりました。日本でも前例の無かったこの作業は試行錯誤の連続で、約40年間という膨大な時間と労働の結果、尾瀬にはかつての風景が戻ってきています。こうした試行錯誤の積み重ねは日本だけでなく世界的にも珍しく、各地の湿原の復元作業に役立っています。

 しかし40年間という時間を経ても、復元が進まない困難な場所も尾瀬には残されています。それが至仏山や燧ケ岳といった高山の急傾斜地にある湿原や草原です。尾瀬ケ原や尾瀬沼にも増して環境が厳しく、急こう配なことから植物が生えるための土壌が流されてしまっている等、その復元には困難を極めます。特に至仏山の東面登山道沿いは1989年から97年シーズン途中まで閉鎖し、登山道整備を行ったのにもかかわらず荒廃が止まらない場所が多くあり、関係者もこの場所をかつての姿に戻したいと願い、どういった作業が適しているのかを模索しています。

 話は少し変わりますが、先日、尾瀬沼付近でかつて埋設されたごみを撤去するボランティア活動に参加してきました。3年間で6回目を迎えたこの作業は、山林内で手作業によるごみの掘り返しや分別といった地道なもので、各地から尾瀬を愛する人たちが集まり、半日程度の作業を行いました。草紅葉の美しい湿原のすぐ横で、膨大な量の空き缶やビンが埋め立てられた場所があることに参加者は驚きを隠せないのですが、この場所を早く自然の状態に戻したいと、黙々と作業を行っていました。

 私はこうした1カ月間を過ごし、人間の利用が尾瀬に残したいろいろな歴史から学び、今よりも良い状態で次の世代へと引き継ぐために、これからも行動し続けたいと強く意識させられました。尾瀬人(尾瀬で働く人々)の目に映るこうした尾瀬の側面も、盛んになってきた環境学習の視点としては有効なのではないでしょうか。






(上毛新聞 2009年10月3日掲載)