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かみつけ民話の会「紙風船」会長  結城 裕子(高崎市金古町)  




【略歴】新潟県出身。桜美林大卒。祖母から昔話を聞いて育った口承の語り部。現在、かみつけ民話の会「紙風船」会長として語りとともに、読み聞かせ活動も行っている。



子育ての中の語り



◎残すことは生きた証し




 思いを言葉にのせて話すことが語りなら、語りとは昔話を語ることだけではないと思う。それは、日常生活の中で誰もが行っていることではないだろうか。例えば、おなかの中の赤ちゃんに母親が語りかける。この語りかけなどは、短くても素晴らしい語りだと思う。人は語りの中で生まれ、語りの中で成長する。私もまた、そうした短い語りの中で、ごく自然に昔話を語るようになった。

 私が初めてわが子に昔話を語ったのは、当時住んでいた渋川市の静かな散歩道だったと記憶している。ハイハイをし始めたばかりの息子を対面式のベビーカーに乗せて散歩するのが、当時の私の日課だった。大きな雲が浮かんでいれば「あの雲に乗りたいね」と語りかけ、猫の親子が歩いていれば「猫さんもお散歩ね」と、子どもに語りかけた。細(ささ)やかなことにも感動し、子どもとほほ笑み合う。そんなふうにして、ゆっくりと流れていく時間が私は大好きだった。早春のある日、いつもの道を歩いていると、良い香りが辺り一面に漂ってきた。ふと見ると、近くの塀越しに梅の木が小さな花を咲かせ始めていた。

 「こんなに小さな花が、こんなにいっぱいの良い香りをくれるんだもの。このおうちの人は梅の木を本当に大切にしてるんだねぇ」

 そんなことを言った気がする。そして、ふいに「飛び梅」(庭の梅を大切にしていた主人が遠方へ左遷される。その主人の臨終の床に、梅は空を飛んでやってくる)の話を思い出し、語り始めたのである。梅の花が咲いている間、私はそこを通るたび、「飛び梅」の話を語り続けた。今でも梅の香りに出合うと、あの時の子どもの笑顔と幸せいっぱいだった時間が心によみがえってくる。

 子どもが小さかったころ、優しい気持ちで語るたび、私は子どもからたくさんの幸せな思い出をもらってきたのだと、今強く感じるのである。子育て中の語りは、子どものためだけに必要なものでは決してない。親のためにも、それは大いに必要なものだと思う。

 私は祖母の昔話を100以上覚えているが、それらの話の中に祖母が今も生きているのを感じる。その祖母も幼い日、そのまた祖母から昔話を聞いていた。昔話の中には、そうした数多くの先人たちが生き続けていると思う。それは決して昔話だけのことではない。たとえそれがどんなに細やかなものであっても、心の中に技(わざ)の中にというように、さまざまな形で、人は次の世代、そのまた次の世代の人の中で生き続けることができるのだろう。そして、そうしたものをいくつ後人に残せるかということが、その人が生きた大きな証しのひとつなのではないだろうか。





(上毛新聞 2009年10月29日掲載)