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自然観察大学副学長  唐沢 孝一(千葉県市川市)  




【略歴】嬬恋村出身。前橋高、東京教育大卒。都立高校の生物教師を経て2008年まで埼玉大講師。1982年に都市鳥研究会を創設、都会の鳥の生態を研究。



カラスの賢さ



◎人の視点ではかれない




 拙著『カラスはどれほど賢いか』(中公新書)を出版したのは1990年であった。当時、カラスの賢さに関する最新情報を紹介したつもりだった。例えば、秘密の場所に食物を隠し、後日、腐りやすいものから取り出して食べる。あるいは、固いクルミを、赤信号で一時停止した車のタイヤの前に置き、車に割らせて食べる…等々である。

 その後も、カラスの賢さに関する知見は増えるばかりだ。ニューカレドニアに生息するカラスは、刺のついた葉の縁を切り取って道具を作り、朽木内の幼虫を引きずり出して食べる。実験室では、針金をくちばしでくわえて曲げ、それを使って容器の中から食べ物を取り出すことにも成功している。今や、カラスの知能は旧石器時代の人に匹敵する、とまで言われている。

 道具の製造・使用は、ヒトをはじめ、チンパンジーやニホンザルなど霊長類の専売特許かと思っていたが、そうでもなさそうだ。最近の比較神経解剖学の知見からも、カラスの脳は鳥類の中でもずば抜けて大きく、大脳の連合野も十分に発達しているそうだ。

 カラスの知能は確かに優れている。では、他の鳥は、カラスより劣るのだろうか。例えばヒヨドリやメジロでは、細長い嘴(くちばし)をストローのように花にさし入れ、蜜(みつ)を吸うことができる。しかも、メジロの舌の先端部分は糸状に分かれており、吸い取り紙のように効率的に蜜を吸い取ってしまう。そもそも道具や知能などを必要としてはいない。知能は、生物が生きていく術の一つではあるが、高度な知能を使わずとも、動物たちは見事に生きている。ヒヨドリもメジロも、今日まで生き延びてきたのは、それなりに優れていたからにほかならない。本当は、カラスはカラスとして優れており、メジロはメジロとして、人は人として優れているのである。

 人と自然の共存が叫ばれて久しい。しかし、人は、無意識のうちに、自分こそこの世で最も優れた動物だと思い込んでいる。人の得意とする「知能」や「道具使用」といった物差しで他の生物をはかり、序列化してしまう。人間は他の生物とは別格の存在だという価値観に立脚する限り、自然や動植物は人が利用し、管理し、利潤をあげる対象でしかなくなってしまう。

 「山川草木悉皆成仏」の言葉を出すまでもなく、人もまた自然の一員であり、他の動植物と同列の存在であるというのが、伝統的な日本の自然観ではなかったのだろうか。「動物たちの頭脳が、人にどれほど近いか」という視点だけで生物をとらえる限り、自然や野生生物を真に理解することは難しいであろう。「カラスさん、人に似て頭がいいね」などと見下すと、「アホー」と鳴いて飛び立つのが関の山である。





(上毛新聞 2009年11月8日掲載)