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シネマテークたかさき支配人  志尾 睦子(高崎市八幡町)  




【略歴】県立女子大卒。1999年から高崎映画祭ボランティアスタッフに参加。その後、同映画祭ディレクターとなる。2004年からシネマテークたかさき支配人。



ミニシアターの閉館



◎消えない“観た”日々




 10月31日、また一つ映画館が閉館した。東京は渋谷のヒューマントラストシネマ文化村通り、旧シネ・アミューズである。映画館の閉館は今や珍しい話ではないが、この渋谷のミニシアターの閉館に動揺せずにはいられなかった。

 1980年以降、東京を中心に大手チェーンに属さず個性的な番組編成をする映画館が生まれた。これら新進の映画館は、従来の東宝、東映、松竹をはじめとする大手の映画館に比べ、座席数が少ないことからミニシアターと呼ばれた。ヨーロッパ映画を中心にしたもの、アート系作品中心のもの、アジア映画、ドキュメンタリー、若手作家等、上映作品は劇場独自の切り口で編成され特色ある映画館がいくつも生まれた。新宿、池袋、六本木、銀座、いくつものミニシアターが生まれ、消えていった劇場も少なくない。

 95年、ミニシアターの聖地と化した渋谷にシネ・アミューズは開館する。東急文化村の目の前のビルの4階に、赤を基調としたEAST(132席)と青を基調としたWEST(129席)2館があった。当時は珍しかったカフェを併設し、都内の劇場で公開されるチラシを何十種類と陳列してある。アートとかしこまらない面白みのある情報発信の場として私の目には映った。

 20歳を過ぎてから映画を観(み)始めた私にとっては、映画を観るのなら、県内の劇場へ行くより先に都内へ出掛けるのが当たり前の図式だった。中でも、シネ・アミューズは映画初心者の私にほどよいラインアップで当時はよく通ったものだ。天井が低く座席間隔も狭い。壁の向こうで階段を上り下りする靴音が聞こえて来る劇場であり、込んでしまえば前の人の頭が邪魔(じゃま)してとても見にくい。自分も人の邪魔にならないように体をこわばらせて小さくなって観たりした。鑑賞環境がいいとはお世辞にも言えないが、なぜか私はこの劇場によく出向いた。チケット売りのスタッフの愛想がなくても、込み合う劇場内で動くスタッフの客さばきがあきれるほど悪くても、経営体制が変わって番組編成に変化が出ても、館名までが変わっても、変わらずそこにあるこの映画館が私は好きだった。開館から14年、その映画館がなくなる。もうあそこで映画が観られない。

 不況のあおりであり時代の流れである。映画館経営の厳しさは身をもって知っている。どうしようもないのだと思う。だからせめて、思い切り残念がりたいと思った。

 東京国際映画祭期間中、私は迷うことなく映画祭のラインアップを蹴(け)って<サヨナラ興行>に赴いた。場内には10人ほど。きっと同じような想(おも)いの人が集まっていたのだろう。大切な映画館の灯が消えても観た日々は消えないのだ。






(上毛新聞 2009年11月10日掲載)