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創作きもの「にしお」社長  西尾 仁志(前橋市日吉町)  



【略歴】1971年、愛知県立芸術大美術学部卒。呉服小売業の「にしお」に入り、87年から現職。国内の蚕糸絹業の持続的な発展を図る「絹の会」の会長。


蚕糸業の危機


◎存続させたい染織文化



 かつてわが国の基幹産業であった蚕糸業、その品質への高い評価から、世界最大の輸出国でもあった日本の絹が、いま存亡の危機にあることをご存じだろうか。

 日本の蚕糸業は、昭和の初めに最盛期を迎えた。1929年の養蚕農家戸数は221万戸。これは全農家の3割以上が養蚕をしていたことになる。翌30年の繭生産量は40万トン。34年の生糸生産量は75万俵(1俵は60キロ)。生糸の輸出が最も盛んだった32年には、58万俵を輸出していたという。

 それが2008年には、養蚕農家数は1020戸、繭生産量381トン、生糸生産量1588俵。それぞれのピーク時に比べようもないゼロに近い数だ。特に養蚕農家は、毎年10%以上の減少を続けている。

 戦後300社余あった器械製糸工場も、今では群馬と山形にわずか2社を残すのみとなってしまった。ここまで衰退してしまったのは、1972年以降の生糸の自由化後、中国をはじめ海外からの安い糸の輸入がその一因として考えられる。

 この間、国の手厚い保護政策の下、蚕糸業はかろうじて生き残ってきたともいえる。

 日本は世界有数の絹の消費国、きものをはじめとする絹の素材を愛する国だ。しかし今日のわが国の生産量では、国内の絹需要の0・7%しかまかなえない。自給率がたったの1%以下。きものや帯の99%が海外の糸によってできているということだ。

 きものに代表されるわが国の染織は、高度な技術やその多様性から世界最高のテキスタイルだと思う。それは、蚕糸業が身近にあることにより、多様な絹素材を用いて作られ、発展してきたからだ。絹のきものは養蚕と製糸に支えられ、私たちにとって特別なものとして存在し続けてきた。蚕糸業の危機は、日本の染織文化の危機ともとらえることができるのではないだろうか。
 そんな蚕糸業を残すために、私は6年前から「絹の会」というグループをつくり、活動している。この危機的な状況を打開するには、かつて世界から評価されたような上質で付加価値の高い糸を安定的に供給することが何よりも大切であると考えている。

 熱心で技術力の高い養蚕農家の繭を基準価格より高く買い取り、安中市の碓氷製糸農協で特別のひき方で高品質の生糸を作ってもらっている。それを、絹の会の会員をはじめ全国の染織作家に斡旋(あっせん)し、使ってもらっている。

 明治時代、ロンドン市場では上州から輸出された生糸は「マイバシ・マエバシ」というブランドで高く評価され、高値で取引されたという。往時の誉れに倣い、高品質の糸を作り、日本の染織文化に反映できることを「絹の会」は目指している。







(上毛新聞 2009年11月12日掲載)