視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
.
随筆家  牧野  將(館林市上三林町)  



【略歴】旧満州国生まれ。1971年から本県に在住。長く金型設計業務に従事した。96年に放送大学卒業。著書に『赤陽物語~私説藤牧義夫論』がある。



未完の日本画(1)



遠大な画業計画秘める



 人は自分の寿命を知らないはずです。確かに自分はいつ死ぬか分からないでしょうが、1年でも2年でも長生きをしたいと思うのが普通でしょう。死ぬなんて考えないからこそ、先の計画も立てられ、将来の夢も描けます。

 人は、相応な歳月を生きてこそ、良い仕事を完成させられるのではないでしょうか。太宰治や芥川龍之介など、文人に多く見られる自死(自殺)という、自らの生を遮断してしまう現実はありますが…。

 館林出身の日本画家・藤ふじ牧まき義よし夫おは、明治44年1月29日の生まれですが、昭和10年9月2日の夜、突然失しっそう踪し、行方知れずのまま今日に至っています。その時、彼は24歳でした。恐らく「自殺」したのであろう、というのが大方の判断で、法号も「秋天義香信士」と付けられ、墓も館林市の法輪寺(曹洞宗)に建てられています。

 彼が、なぜ失踪・自殺(?)したのか理由は全く分かっていません。突然の失踪と不明な事の多さから、よく「謎の画家」と形容されます。藤牧は日本画家ですが、「創作版画」で脚光を浴び始めました。まさにこれからという時の失踪のために、名も知られることなく、そのまま「藤牧義夫」は忘れられたるごとく、歳月は流れました。そして、彼の名が再び登場するのは、昭和53年ごろになります。この時と期を一にして、藤牧の遺族宅の筐きょう底ていに深く埋もれていた≪絵巻隅田川・全四巻≫や、日本画の習作と思われる作品が次々と出現しました。とりわけ≪絵巻隅田川≫は、隅田川両岸風景を白描によって「絵巻」に描かれた逸品で、まるで写真のような精せい緻ちな描写力は神業と言ってよいものです。

 河北倫明は、横山大観の大長巻≪生々流転≫の完成について「大観自身も55歳という年齢上の成熟期を待たねばならなかった」と述べて歳月の重さを示唆しています。

 葛飾北斎は、臨終に際し「我にあと5年の命を授かれば、真の画工となるであろう」旨を語った。90歳の長命を誇った北斎にしてなお、生が技ぎりょう倆を完成させる重さを言い遺のこしたのです。

 我々は≪絵巻隅田川≫が藤牧の美の極致とつい満足してしまいそうですが、この絵巻が彼の終点ではなかったようです。彼の「版画と絵巻」を丹念に追って行くと、遠大な画業の計画が、朧おぼろながら見えてきそうです。藤牧は、自分の人生が24年で終わるなんて少しも予想していなかったようです。むしろ、長命でなければ達成できないほど奥の深い「美の世界」に挑戦する計画を秘めていました。

 本欄において、文字通り視点をしっかり構え、藤牧義夫を見つめ直していかなければなりません。





(上毛新聞 2009年12月7日掲載)