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日本タンゴ・アカデミー副会長  飯塚 久夫(東京都世田谷区)  



【略歴】前橋市出身。東京工業大大学院修了後、電電公社入社。本業の傍らタンゴを研究し「タンゴ名曲事典」(中南米音楽刊)の共著も。現在NECビッグローブ社長。


なぜタンゴブームか



心に潜む「真情の吐露」



 私がタンゴを聴き始めたのは中学時代(前橋一中)。以来約50年にわたりタンゴを聴き続け、20年ほど前から新譜CDの企画・解説を書き、月刊誌にタンゴ記事を載せてきた。

 タンゴというと、日本人にとっては世代によってとらえ方が全く異なっていよう。若者にとっては陳腐な音楽としか聞こえないかもしれないが、私のように昭和20年代以前生まれの者にとっては、戦後、ジャズやシャンソン、カンツォーネと並ぶポピュラー音楽の一大ジャンルというイメージが残っている。特に藤沢嵐子というタンゴ歌手は、年配者なら必ずや思い出す名前であろう。本場アルゼンチンでも日本人がタクシーに乗ると、運転手が「RANKOは元気か?」と話しかけるのは私自身も体験した事実である。

 それが、1950年代後半のプレスリー・ブーム、62年のビートルズ・デビューあたりを境に日本のポピュラー音楽もロック時代になる。単に時流に流されたくないという生意気な少年だったわけではないが、それが私にとってはかえってタンゴにのめり込む契機となる(皮肉なことに66年のビートルズ来日を企画したのは、当時東芝レコードにいた私の伯父だったが…)。

 一方、戦後の社交ダンス・ブームの中で、タンゴは比較的上級者が踊るダンスとしてあこがれの的でもあった。またタンゴというと、一般には「碧あおぞら空」「夜のタンゴ」「真珠採りのタンゴ」に代表される欧州タンゴ(いわゆるコンチネンタル・タンゴ)がなじまれてきた。それと区別するために「アルゼンチン・タンゴ」というわけであるが、その源流は19世紀末のアルゼンチンの首都ブエノスアイレスにあり、欧州タンゴや社交ダンスとは全く異なるものである。

 それでも70年代まではまだタンゴ・ファンも多く、日本は本場に次ぐ愛好国として広く知られていた。それが本場でも70年代後半からの軍事政権による圧政は、有能なアーティストの流出や沈黙を招き、若者はひたすらロック音楽に流れた結果、タンゴは低迷し、日本でも全国各地に多々あったタンゴ愛好会なども会員数減少の一途をたどることになった。

 ところが、ここ10年来、タンゴがあらためて世界的に大変なブームとなっている。しかも、音楽も踊りも欧州風でなくアルゼンチン流である。例えば、毎年8月にブエノスアイレスで行われる世界タンゴダンス選手権大会は今年7回目を迎えたが、25カ国(約100都市)から427組もの出場者があった。いったいそれはなぜであろうか。私はそこに、今日の世界の大きな変へんぼう貌と呼応した、人々の心の奥底に潜む「真情の吐露」というタンゴの本質との関連を見いだすのである。それをさらに掘り下げて見ていくこととしたい。






(上毛新聞 2009年12月15日掲載)