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創作きもの「にしお」社長  西尾 仁志(前橋市日吉町)  



【略歴】1971年、愛知県立芸術大美術学部卒。呉服小売業の「にしお」に入り、87年から現職。国内の蚕糸絹業の持続的な発展を図る「絹の会」の会長。


「ボロ」から学ぶ



いとおしみ着る豊かさ




 言い知れぬ感動に包まれた。次に思いも付かなかった「美しい」という言葉が口をついて出た。

 東京・浅草の浅草寺二天門の前に、近ごろオープンしたアミューズ・ミュージアムで展示されている古布を縫い合わせたきもの「ボロ」を前にしてのことだ。

 「布を愛した人たちのものがたり」と題した企画展では、民俗学者、田中忠三郎さんの収集した、津軽・南部地方の衣類「ボロ」や「こぎん刺し」などが展示されている。

 木綿の栽培ができなかった東北地方で、わずかに生産された麻も貴重なものだった。使い古した麻布を継ぎはぎした野良着や、綿のかわりに麻の繊維にならない部分「オグソ」を詰めた夜具など、庶民のくらしを伝える衣類だ。一寸の小裂布(こぎれ)をも大切にした。何世代にもわたって布を継ぎ当て、雑巾(ぞうきん)よりも細かく堅く刺し、再製を重ねてきた。それを作った当時の女性たちの布に対しての慈しみや、家族に対しての想(おも)い入れをまず、美しいと感じる。

 当時の人々が、過酷な気象条件に対して、抵抗力が強かったことは、想像できる。しかし、厳冬を麻の重ね着で過ごすことは厳しく、衣類は命を支えるものであった。

 東北地方に限らず、江戸時代中期に木綿が日本に入ってくるまで、庶民は麻をはじめとする草や木の繊維で作った布を身につけていた。木綿が生産され、着られるようになっても、近年まで布はくらしにとって極めて貴重なものであった。

 戦前まで、新しいきものを売る店よりも古着屋の方が圧倒的に多かったという。そこで古いきものを買い、仕立て直して着ていたのだ。きものは解きほぐし、再び仕立てて着続けられる。これは他の民族衣装にはないきものの優れた特性だ。きものの形は巾(はば)38センチ、長さ12メートルの布を8枚に直線裁ちし、縫い合わせただけのもの。リフォームやリメークを前提に考えられた、先人たちの知恵の結晶ともいえる形だ。

 現在私たちが身につける衣料は、繊維にしても布にしてもそのほとんどが輸入に頼っている。衣料に至っては8割以上が中国からの輸入だそうだ。そしてその一部は、昨年話題になったジーンズに代表されるように、信じられないような安価で流通している。それらはシーズンごとに使い捨てられてしまうのだろうか。次々に買い替えられていくのだろうか。

 「ボロ」に象徴されるように、かつての私たちの衣生活は質素であり、極めてエコロジカルであった。しかし、それは単に時代の貧しさがそうさせたのではないと思う。浪費することが恥ずべきことだったのだ。衣料も輸入に頼る資源と考えた時、いとおしみ着る、使い切ることの豊かさを「ボロ」から学ぶことができる。






(上毛新聞 2010年1月8日掲載)