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赤城自然塾事務局長  小林 善紀(桐生市黒保根町)  



【略歴】桐生高校、同志社大商学部卒。「古久松木材」(高崎市)に30年間勤務。1998年から4年間、旧黒保根村収入役を務めた。現在は赤城自然塾事務局長。



これからの森づくり



必要な新しい価値付け




 赤城自然塾の理念はネーティブアメリカン・ナバホ族の言葉「自然は祖先から譲り受けたものではなく、子孫からの借り物である」「借りたものは借りたときの姿で返す」に象徴されます。このことは、前橋市粕川町のフォークデュオ・ガーネットによって作詞・作曲・演奏されたテーマソング「借りてるだけの星」を聴くとよく理解でき、感動が伝わってきます。

 私の環境問題、エコへの取り組みの一つが「森づくり」です。森林の役割の重要さはあらためて言うまでもないことですが、地球の心肺機能を担う森林のCO2シンク機能と、「水は森がつくる」をキーワードにした緑のダム機能を強調したいと思います。

 赤城山地域では、戦中の森林荒廃に加え、1947年のカスリーン台風に代表される台風災害が発生し、国策としての拡大造林政策にのった針葉樹の植林が行われ、中でもマツが多く植林されました。

 もちろん当地でも拡大造林の一環としてスギ、ヒノキもたくさん植林されました。

 結果的に60年たった今、残された問題は「マツ枯れ、花粉症、材価の低迷、獣害」です(獣害は、拡大造林により獣の住みかと食料が奪われたためとの説もあります)。

 どれをとっても大きな問題です。

 2001年6月の「森林・林業基本法」の成立までは広葉樹を伐採し、スギ、ヒノキ、マツ、カラマツ等の針葉樹拡大造林が進められてきました。

 これらの植林樹種選定の理由は、主に経済的理由と、それをとらえた国の林業政策担当の近視眼的発想からでした(伐採時期は40年~80年後なのに)。

 昔から行われてきた適地適木、共生の原則にのっとった森づくりが軽視されてきた結果、現在の問題があるように思えます。

 私のところでは、昔からスギは沢どおりに植える、クリの木は100年、150年後の母屋建て替えのために残せ、ナラ山はシイタケ木や炭焼き、木の葉かきに残せ等が伝えられています。

 森づくりの意欲が極端に減退する一方で、切り倒した後の用材としての価値付けだけでなく、CO2の排出権取り引きが始まっています。炭素貯蔵がクレジットという形で取り引きされ、明確な経済的価値が認められるようになった今であれば、立ったままの木の価値付け(立木価値は輸入材には無い)を行い、会計システムや評価システムの整備により、流通マーケットによる価格付けが行えると思われます。

 今こそ、問題を乗り越えて100年、200年の森づくりを上下流域住民の共有財産として社会全体で合意し、新たな森づくりがスタートされるべきです。






(上毛新聞 2010年1月27日掲載)