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日本タンゴ・アカデミー副会長  飯塚 久夫(東京都世田谷区)  



【略歴】前橋市出身。東京工業大大学院修了後、電電公社入社。本業の傍らタンゴを研究し「タンゴ名曲事典」(中南米音楽刊)の共著も。現在NECビッグローブ社長。


アルゼンチン流ダンス



◎規則よりも即興が命





 タンゴは戦後、本場アルゼンチンと並んで日本が“第2の故郷”といわれるほど一世を風靡(ふうび)した時期もあった。しかしロック音楽の台頭とともにその人気は衰退してきた。ところが1997年のアストル・ピアソラというバンドネオン奏者の没後5周年を契機にタンゴが世界的ブームとなっている。しかも社交ダンスやコンチネンタル・タンゴではなく、アルゼンチン流の音楽と踊りである。特にそうした踊りが世界中に普及するのは、タンゴ130年の歴史上初めてのことだ。それは何故であろうか。そのわけを今回は、アルゼンチンタンゴ・ダンスの特徴から見ていこう。

 19世紀末、ブエノスアイレスの港に押し寄せる欧州からの大量移民、それもほとんど男ばかりで荒んだ人心と世情、少数の女性を巡る葛藤(かっとう)。タンゴはそうした時代の出自故に、当初は社会からさげすまれる存在であった。踊りも下品で卑ひわい猥なものだったが、その“情感”は人々の心を揺り動かし続け、20世紀を迎えるとともに洗練された踊りへと結実していった。そして1910年代には欧州へ逆流し、社交ダンスへと変ぼうしていく。

 社交ダンスは、日本でも戦後大流行し、今日では競技ダンスとしての道を歩んでいる。タンゴもその重要な1種目である。しかし、アルゼンチン流ダンスは組み方も踊り方も社交ダンスとは全く異なる。音楽も、社交ダンスには欧米で作られたコンチネンタル・タンゴがふさわしいが、アルゼンチン流はアルゼンチン・タンゴでないと合わない。しかも技巧の上手下手より、音楽の“情感”にいかに合った踊り方をするかが重要である。社交ダンスは足型を図示するが、アルゼンチン流では足型を見ても意味がない。社交ダンスは規則に基づく足型の高度な組み合わせだが、アルゼンチン流は規則より瞬間瞬間の音楽の流れと表現に合わせた即興が命である。もちろんアルゼンチン流でもあらかじめ振り付けた通りに踊る「ステージ・ダンス」があるが、今、世界的にはやっているのは、「サロン・ダンス」という伝統的なタンゴである。そしてサロン・ダンスの方が精神的にも肉体的にも安らぎと癒やしを与えてくれるのである。

 アルゼンチン流ダンスの見直しとともに、日本でもそうしたタンゴを踊れる場が増えているが、そこでは若い人のみならず高齢の人の姿も見られる。年を重ねることは、タンゴの持つ深い味わいを踊りで体現するために大きな力となっているようだ。

 音楽と踊りの一体感を大切にしたアルゼンチン・タンゴを身近に踊ることができるようになったことは、今日の世界を取り巻く混こんとん沌や葛藤の中で、人工的な規則や技巧の束縛よりも、多様性の大切さや自然さの喜びを与えてくれている。







(上毛新聞 2010年2月10日掲載)