視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
.
創作きもの「にしお」社長  西尾 仁志(前橋市日吉町) 



【略歴】1971年、愛知県立芸術大美術学部卒。呉服小売業の「にしお」に入り、87年から現職。国内の蚕糸絹業の持続的な発展を図る「絹の会」の会長。



赤城座繰り製糸



◎文化財として後世に




 シャーッというかすかな音を発しながら身を震わすように繭から糸がはがれる。カラカラと木製の歯車が回る音、鍋の中の湯を攪拌(かくはん)する水音とともに、糸がゆっくりと小枠に巻き取られていく。

 赤城座繰り製糸は、赤城南西麓(ろく)の村々で行われる、江戸時代から続く製糸方法だ。

 蚕は全長1200メートルもの糸を2昼夜かけて吐き、繭を作る。それを煮ると、繭を固めていたタンパク質のセリシンがとけ、糸がほぐれやすくなる。鍋で煮られた繭を、もろこし箒(ぼうき)で湯とともに攪拌しながら糸を引き出す。糸は弓という部分に集められ、鼓車(こしゃ)を通って小枠に巻き取られる。

 この道具が、上州座繰り器といわれるもの。上州座繰り器は、江戸時代の寛政年間に生まれたという。全国には、その地方独特のさまざまな座繰り器があったようだ。しかし、上州座繰り器は、使いやすく、機能的に優れていたものとみえる。各地の民俗資料館などで展示されている繰糸器は、圧倒的に上州座繰り器が多い。沖縄や南西諸島でも見た。

 かつては全国いたるところで行われていた座繰り製糸であるが、今日唯一赤城南西麓一帯で20人のおばあちゃんたちによって営まれている。このような製糸方法がまとまって残り、わずかながらも「赤城の糸」として流通していることは、奇跡的といわなければならない。

 この土地に残ったのは、この一帯が、養蚕が盛んであり、座繰り製糸が広く行われていたこと。そして現在たった1人となってしまったが、この糸の仲買人が存在するからだ。

 前橋市富士見町の石田明雄さんは、繭をおばあちゃんたちに預け、できた糸を買う糸商だ。

 戦後、この一帯には200人くらいの仲買人がいて、座繰り製糸に携わる人も3千人以上いたという。現在、おばあちゃんたちの平均年齢は、およそ75歳。石田さんのもとで数人の若い継承者が生まれてはいるが、依然存亡の危機にあることに変わりはない。

 座繰りの糸は、ゆっくり引き出すため、繭本来の緩やかなシボと力強さが残る。糸は十分空気をはらみ、嵩(かさ)があって軽い。そこに引き手の個性が加わって表情豊かな糸が生まれる。

 今「赤城の糸」は、素材を大切にする染織家たちから高い評価を得ている。

 この上州の風土に根ざし、昔のままの器械と一体となったおばあちゃんたちの「わざ」は貴重なものだ。この営みは、歴史的な価値を有する文化的な所産でもある。この地で遠い過去から現在まで受け継がれたわざとくらしの記憶。私たちにとって誇るべき座繰り製糸を、文化財として後世に残す手だてを考えてもよい時期ではないだろうか。







(上毛新聞 2010年3月5日掲載)