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高崎経済大地域政策学部長  大河原 真美(高崎市栄町) 



【略歴】上智大外国語学部卒。豪シドニー大法言語学博士。2007年8月から高崎経済大地域政策学部長。裁判で使われる言葉を研究、著書もある。家事調停委員。


刑事裁判の現実



◎細かな議論による審理




 小さいころ、両親が毎週楽しみにしていたアメリカのテレビ番組に「ペリー・メイスン」があった。子供の私は、寝る時間があり見させてもらえなかったが、気になっていた。

 それから30年後、「新・弁護士ペリー・メイスン」が放送された。推理サスペンスなので面白かった。

 ペリー・メイスンが弁護する被告人は、すべて無実である。メイスンは、秘書や調査員とともに事件解決のために奔走し、危険を冒して、真犯人を突き止める。番組の後半は法廷シーンで、傍聴席にいる真犯人をあぶりだし、めでたく被告人の無実を晴らす。

 ドラマのメイスンは自分の友人の弁護をすることがある。また、社会的地位のある裕福な被告人も多い。弁護にあたって、十分な経費が支払われているのか、出張時のメイスンのホテルは、いつも広いスイートルーム。被告人に保釈が認められることも多く、メイスンは、被告人から事件について詳しく聞いている。法廷では、メイスンは、検察官と対決しながら、被告人のぬれぎぬを晴らしていくのである。

 さて、実際の刑事裁判はと言うと、これまた別世界。被告人の多くは、自分が悪いことをやったことを認めている。だから、真犯人は最初から被告人である。裁判で争っていることは、被告人にも言い分があって、検察官が言っている程度まで悪くないということ。

 そもそも、被告人の大半は、お金がないから犯罪にはしったのである。メイスンのドラマのように自分のお金(私選)で弁護の依頼はできない。そこで、国の費用(国選)で弁護人をつけてもらう。しかし、国選弁護の報酬は安く、弁護士からみるとボランティアそのもの。さらに、刑事弁護は民事事件のように固定客を拡大していく分野でもない。

 メイスンのドラマと異なるのは、報酬や客層だけではない。被告人のほとんどは保釈が認められず、警察の留置場や拘置所に拘置されている。このため、弁護人が事件についての話を聞こうと思っても、時間的制約や地理的制約があって、なかなか十分に聞けない。

 一方、警察や検察官は、連日の取り調べで、良くも悪くも、被告人の性格や癖まで含めて、被告人についてよく知っている。

 メイスンは、法廷で検察官が知らないことをタイミングよく出して、真相を解明する。しかし、現実の多くの刑事裁判は、市民から見ると、検察官も弁護人も同じような話をして、懲役の年数や執行猶予の有無等の細かな議論の終始で、ドラマ性に乏しい。しかし、見方を変えれば、毎回、無実の人が被告人とされるメイスンのドラマより、本人も認めている悪事の仔しさい細なことの審理の方が、市民生活が平凡で安全なことの証しなのかもしれない。







(上毛新聞 2010年3月7日掲載)