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山崎学園東日本栄養医薬専門学校理事・校長  鈴木 叡(前橋市東片貝町) 



【略歴】前橋高、放送大、高崎経済大大学院修了(地域政策学)。群馬銀行常務、群馬テレビ社長などを経て現職。県社会教育委員、県銃砲刀剣類登録審査委員。



上州の刀工・甲冑師群



◎精巧で高い技術水準




 昨年、太田市在住の人間国宝、大隅俊平(としひら)師が77歳で亡くなられました。半世紀以上を作刀一筋に打ち込まれ、伊勢神宮のご神宝としてのお刀を完成されたばかりでした。

 師は、鎌倉時代に京都や備中で栄えた刀工の一派を研究、みごとに再現されました。毎年の「新作刀展」を拝見しますと、姿、地じ鉄がね、刃は文もん、いずれもすばらしいできばえで、古名刀の風格十分のお刀でした。

 師が太田市へ寄贈してこられたお刀は67振り。近い将来の一般公開が待たれます。

 今、県内には、若手の刀匠の方々が何人かおられます。「新作刀展」に入選された方もあり、大隅師のあとを受け継いで、今後の活躍が期待されます。

 さて、ここで、実際に刀や甲冑(かっちゅう)が使われた昔の上州にさかのぼってみましょう。

 刀や甲冑の原材料は玉鋼(たまはがね)です。本県では、利根川や各河川で砂鉄がとれました。これを精製する製鉄所の跡も発掘されています。治安が悪く、運搬手段も整わなかった時代、製鉄所に近いところで加工するしかありません。当時の刀工や甲冑師たちは地元産の玉鋼を用いていたと考えられます。

 上州刀工の遺例が、現物としてみられるのは、戦国時代以降です。銘鑑にはそれ以前のものがありますが、現物は見ておりません。

 甲冑も、保存状態のよい遺例は戦国時代以降のものです。なかでも、渋川市白井地区の「明珍(みょうちん)」一派、西上州の甲冑師群などが代表です。昨年の県立歴史博物館企画展「よろいとかぶと」でも、精巧で高い技術水準だったことがわかりました。これらは、研究者の平野進一先生をはじめ、多くの方々により解明されつつあります。

 戦国時代、ほとんどの武士は、平時には農業に精をだし、いざというとき、一族郎党、使用人まで武装して出陣という暮らしでした。そのときは、一人一人が甲冑を着、刀や槍やりをもちます。ですから、上州では、大勢の刀工、甲冑師が制作にあたったのでした。

 その後、兵農分離で多くの武士が帰農し、一般には武器を持つことを禁じられました。ここで、たくさんの武器・武具、今でいえば貴重な文化遺産が失われたといわれています。

 江戸時代は、上州各藩におかかえ鍛冶がおり、大勢の門弟を養成した名工もでました。

 以上のように、上州では、たくさんの刀、槍、甲冑などがつくられました。力作も数多く残り、刀では、重要文化財に指定される水準のものも何振りかでています。

 近代以降、群馬では、絹産業・航空機・輸送機・電機・食品その他各種の産業が発展しました。これは、この「ものづくりの精神」が、現代に息づいてきたからではないでしょうか。







(上毛新聞 2010年3月8日掲載)