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茨城大学非常勤講師  石山 幸弘(前橋市富士見町時沢) 




【略歴】県立土屋文明記念文学館など勤務を経て、茨城大・県立女子大非常勤講師。県内に足跡を残す明治末期の社会主義青年群像を追っている。



立絵紙芝居への規制



◎新たな表現形式を創出




 大衆娯楽はいつの時代にもエログロ問題が付きまとう。最近の報道によれば、東京都がアニメなどに顕著な性描写を条例改正で規制しようと検討を始めたことに、著名漫画家などが過剰な自主規制を生み出すとして、反対の声を上げた。

 昭和初期に起きた「立絵紙芝居」に対する似た問題は、取り締まり当局が業界の意向など歯牙にもかけない時代だったから有無なく規制に乗り出した。立絵で生計をたてていたいわゆるテキ屋業界の青年たちは生なり業わいを奪われては生活が立ちゆかない。ならば「教育的観点を加味して」などとすり寄ったら大衆娯楽の命取りになる。考えた揚げ句、彼らは全く新しい表現形式を編み出した。それが今日いう「紙芝居」だ。立絵に対し平絵ともいう。

 この新種出現の背景にはこの業界特有の経営形態があった。彼らテキ屋青年たちはまず「貸元(かしもと9」と呼ばれる今流に言えば制作会社へ出向き、実演のノウハウを伝授され、おおむねの商圏(縄張り)を指示され街頭へ繰り出す。定められた借用料を支払うと、残りが利益となるのだが、借用にあずかる演だし物は貸元の裁量によって制作されたものだから、内容が旧態依然とした歌舞伎調では集客が思うに任せない。現代的なものへの切り替えが必要だと客との接点で感じたことを進言するが、なかなか受け入れられない。実演技術の未熟が原因だと責められるのがオチだった。イヤなら破門だということになる。このおきてには相当厳しいものがあった。

 ここにおいて彼らは「今度見つけたら刑務所行きだ」とする取り締まり当局と、「イヤなら破門だ」と迫る貸元という二正面の「敵」を相手にどのような具体的解決策を見いだしたか。

 まず生活を支えていた「立絵」に見切りをつける。勇断だった。試みに出回っている絵本などを工夫して使用したとも伝わっている。「語り」話術が子どもたちを引きつけることを知っていたからだろう。だが、いくら現代物とはいえ絵本は元来語り口調で描かれたものではないから、話術の工夫にも限界があった。そこで他人の著作に頼らず、自分たちで筋をこしらえ、思い付きのような絵を数枚描いて街頭へ出た。それが予想を超えた人気を得ることになる。しかし所詮(しょせん)素人絵だ、物珍しさも最初のうち。そこで新聞に画家募集の三行広告を出したところ、未み ぞ う曾有の昭和5年という大失業時代だ、応募者が70人近くも殺到。採用した1人は鳥居馬城と名乗る看板画家、もうひとりが蔵前にあった工業高専でデザインを学ぶ学生永松武雄(のち健夫)だった。

 この永松こそ、のちに名作「黄金バット」を創出した画家として紙芝居史に名をとどめることになる。その才能を見抜いたテキ屋の青年たちだった。






(上毛新聞 2010年3月29日掲載)