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シネマテークたかさき支配人  志尾 睦子(高崎市八幡町) 



【略歴】県立女子大卒。1999年から高崎映画祭ボランティアスタッフに参加。その後、同映画祭ディレクターとなる。2004年からシネマテークたかさき支配人。



発信し続けるために



◎手探りで進化と成長を



 去る4月11日、第24回高崎映画祭が閉幕した。さまざまに苦境を強いられる中でも、約1万人の方々の動員を記録できたことは今年1年間と来年開催予定の映画祭への励みとなる数字だと思っている。お越しいただいた方々には感謝すると同時にこれからもよろしくお願いします、と語気を強めて志を表したいところだ。いくら映画業界が、もとい、市場全体が不況だといっても、映画そのものの力や魅力は変わらないのだということもあらためて実感することができた。そして、時代に対応していくには、その発信源は、いろんな意味で進化と成長を遂げるものなのだと痛感している。

 高崎映画祭の活動と並行して、毎日映画を届ける場所として開館した「シネマテークたかさき」も、5年の歳月の中で少しずつ変化を遂げている。オープン当時は1館体制だったものも、幅広い上映形態の可能性を広げるためにスクリーンを増設し2館体制となった。ラインアップや上映スケジュールの改善やメンバーズ会員の募集や特典もさまざまに、一つ一つを手探りで改善改良し、成長を続けていくつもりである。その成長は、存在し続けることが大前提の上でしか成し遂げられないのだろうとも思う。

 4月16日、埼玉県にある深谷シネマ移転リニューアルの内覧会にお邪魔した。NPO法人で運営し銀行の跡地を利用して映画館を設立した深谷シネマの存在は、私たちにとって最も身近で頼もしい前例となる劇場だった。2000年に商店街の老舗洋品店「フクノヤ」の空きスペースを利用して始まった映画館活動は、02年に中心市街地活性化事業の「深谷TMO」によって銀行を改装して設立された深谷シネマへと成長した。開館当時は44席、その後49席となって運営を続けてこられた。市民の協力と支援を得て、手作りでしっかりと運営されているとても温かみのある劇場だ。その劇場が深谷市の区画整理事業のために移転しなければならなくなった。移転先の保証があるわけでも移設資金が保証されるわけでもない大きな転機に、スタッフの皆さんのご苦労は計り知れないものだったろうと思う。

 移転先が最終的に、300年の歴史を持つ、深谷の誇る貴重な歴史文化遺産の七ツ梅酒造跡に決まったという知らせを受けて、大切な文化財を次世代に引き継ぎながら、文化発信と交流の場として成長していこうとする深谷シネマのすばらしき選択に感動を覚えたのは言うまでもない。

 小雨降る中、多くの人が集まった新生深谷シネマ。歴史ある文化遺産の趣と、深谷シネマの歴史と、新しい劇場の匂(にお)いが、存続と成長の大きな意味を教えてくれたように思う。すばらしき先輩劇場に見習い、私たちも変化と成長を遂げていきたい。






(上毛新聞 2010年4月26日掲載)