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NPO法人自然観察大学副学長  唐沢 孝一(千葉県市川市) 



【略歴】嬬恋村出身。前橋高、東京教育大卒。都立高校の生物教師を経て2008年まで埼玉大講師。1982年に都市鳥研究会を創設、都会の鳥の生態を研究。



赤城のヒメギフチョウ



◎保護活動は群馬の誇り



 初めて赤城のヒメギフチョウを観察したのは3年前の5月のことであった。早春の雑木林で妖精のように舞う蝶(ちょう)を一目見ただけで、その美しさに心を奪われてしまった。カタクリやスミレの花にとまって吸蜜(みつ)するシーンは、この世で生命がもっとも美しく輝く瞬間ではないだろうか。4月下旬に出現し、交尾や産卵をすませ、早々と一生を終えてしまう薄命さにも心打たれるものがあった。

 ヒメギフチョウは氷河期の生き残り生物(遺存種)である。寒冷な時代には低地にも広く分布していたが、温暖化にともなってあるものは北方へ、あるものは山地へと移動。関東地方では現在、赤城山にのみ取り残されている希少種だ。

 また、幼虫の食草はウスバサイシンなどに限られており、どこにでも生えている植物ではない。スギやヒノキが植林されたり、雑木林が利用されなくなったりで林内が暗くなれば、食草のウスバサイシンも蜜源のカタクリなども育たない。さらに、減少して希少価値が高まれば、一部のマニアが捕獲して激減するという悪循環が繰り返される。ヒメギフチョウは、常に絶滅の危険にさらされている。

 赤城のヒメギフチョウは1940年に発見されたものの、70年代には激減し消滅したと考えられていた。ところが、81年に奇跡的に再発見された。これを機に87年には有志により「赤城姫を愛する集まり」が結成された。「赤城姫」とは、赤城に生息する姫(ヒメギフチョウ)の愛称だ。「愛する集まり」による調査、保護、広報などの地道な活動により、氷河期からの命の燈火(ともしび)がかろうじて今日に引き継がれている。赤城姫で特筆すべきは、地元の渋川市立南雲小学校による取り組みだ。毎年5月上旬には全校児童が生息地の山頂(1189メートル)をめざして赤城姫を観察。6月には4年生全員で幼虫観察を体験する。観察会の講師は「愛する集まり」の会員がボランティアでつとめている。

 観察会のほかに、赤城姫の生態の学習、保護のための看板づくり、雑木林保全のための植樹、ウスバサイシンの移植など、父母や地域の協力を得ながら学校あげて取り組んでいる。

 「学校(児童)」、「地域(父母)」、「研究者(愛する集まり)」の三者が一体となっての南雲小学校による赤城姫の保護活動は、07年度の全国野生生物保護実績発表大会で文部科学大臣奨励賞に輝いている。筆者はたまたまその時の審査員の一人として児童による成果発表を拝見したが、内容も発表態度も実に立派であった。

 赤城姫がいつまでも生息し、それを守ろうとする人々がいることは、群馬の誇りである。筆者も群馬県出身者の一人として赤城姫にエールを送るとともに、できうる限りの応援をしたいと思っている。








(上毛新聞 2010年4月28日掲載)