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群馬ダイヤモンドペガサス・ゼネラルマネジャー  根岸 誠(高崎市上中居町) 



【略歴】新島学園高、青山学院大経営学部卒。元高崎青年会議所理事長。現在、高崎佐野中PTA会長、高崎市PTA連合会副会長。フジコー代表取締役。



野球を数字で見る小説



◎新鮮な一面を表現



 本年度の本屋大賞は、冲方丁著『天地明察』が受賞した。ペガサスショップのあるウニクス高崎には、本の専門店がある。この小説を購入しようと立ち寄った時に、ふと第1回大賞の小川洋子著『博士の愛した数式』という小説を思い出した。

 文学作品の中で、野球について描かれている作品は結構多いようだが、そんな中でも、この作品はとても面白い。傑作だ。5年前には、寺尾聰氏主演で映画化されているので、ご記憶のある方も多いはずだ。

 記憶が80分しか持続しない主人公の老数学者が、野球を数字で表現する場面がとても新鮮なのだ。たとえば、「28」という数字は完全数として登場する。28の約数は1、2、4、7、14。これを全て足すと28になる。まぎれもない完全数である。プロ野球選手で、28の背番号を背負っている選手は数多くいるが、最も有名なのは阪神時代の江夏豊だろう。この江夏は老数学博士の最大のごひいき選手として作品に登場する。

 こんな描写もある。

 「ピッチャーがモーションを始動させ、ボールを放すまでに0・8秒。ボールがキャッチャーミットに届くまで、今のはカーブだから0・6秒。ここまでで、1・4秒経過。ランナーが走る距離は、リードを取っていた分を差し引いて24メートル。ランナーの50メートル走が……二塁に達するには……よってランナーを刺すために、キャッチャーの残された時間は1・9秒である」

 ここで紹介されている数字は、どれも驚くほど正確である。著者は、どうしてこういう数字による野球観戦を思い至ったのだろうか。私の知る限りでは、こういう野球観戦をするのは、スカウトと一部の野球関係者以外、ごくわずかだ。

 野球を数字だけで見ると、ドラマ性が失われ、無味乾燥なものになると思われる方も多いだろう。しかし、博士が言うように、「野球ほど多彩な数字で表現できるスポーツはほかにはない」のである。そんな、野球の一面をこの作品は、最高の形で表現している。

 この本は、野球小説ではない。主役は数学である。ほとんどの人が、ひと目見ただけで遠ざけようとする数式を、堂々と物語の中心に置き、老博士の孤独や孤高を、鮮烈に浮き上がらせている。その孤独と孤高を、野球が温かく柔らかいものに変えていく。そして、野球の価値とはそういうものだと一読してから思い至る。

 世の中に、野球がなくても生活に困る人は少ないが、生活に彩りがなくなるという人は多いはずだ。シーズンが開幕して、早ひと月。どれほど、皆さまの生活の断片に、ペガサスを紛れ込ませていただけているだろうかと、自問自答するばかりである。







(上毛新聞 2010年5月8日掲載)