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日本タンゴ・アカデミー副会長  飯塚 久夫(東京都世田谷区) 



【略歴】前橋市出身。東京工業大大学院修了後、電電公社入社。本業の傍らタンゴを研究し「タンゴ名曲事典」(中南米音楽刊)の共著も。現在NECビッグローブ社長。



移民とタンゴ



◎色濃い故国への郷愁




 ここ10年来、アストル・ピアソラのタンゴ音楽や(社交ダンスでなく)アルゼンチン流のダンスを中心にしたタンゴ・ブームが続いているのは、タンゴ130年の歴史上でもかつてなかったことである。そのわけを探っているのだが、今回は「移民とアイデンティティー(自己の存在証明)」という視点から見ていこう。

 タンゴの故郷、アルゼンチンは今年建国200周年を迎えている。1810年5月25日、スペイン副王領を廃し自治を始めたのである(独立宣言は1816年7月9日)。といっても1870年ごろでも総人口は200万人足らず。経済発展に伴い労働人口不足を補うため移民が始まり、1880年から1930年の間でその数は600万(スペイン、イタリアからが80%)を超えた。1914年の外国人比率は30%、殊に首都ブエノスアイレスは約60%が移民で占められた。

 移民も初期はほとんどが男性で、少数の女性を巡る矛盾が初期のタンゴに与えた影響は大きい。ダンスも男性同士で踊り、女性とのかかわりは売春宿でということが多かった。しかもブエノスアイレスの下町、移民がたどり着く波止場でのことである。そうした中から移民の望郷の思いと女性への想おもいが葛藤(かっとう)を生み、“郷愁”的な感覚が色濃く反映された音楽が創生された。

 従って主としてその旋律は短調であり、どこか哀(かな)しみ、愁い、寂しさを秘めたものになった。と同時に、自分の故国、個人のアイデンティティーを深く考える気風が芽生えていった。もともとラテンの情熱的な感覚を備えた人々が多かったということもあろうが、タンゴの歌は、男が女を愛するときは一心不乱に愛して、揚げ句の果てにふられる、それでもまだ彼女を愛している、忘れられない、といった内容のものがほとんどである。しかし、それは自分の存在意義を相手の女性にいかにかけてきたかの証明でもある。まさしく自分の生まれ故郷は一つしかないのと同様、彼女への想いもひたすら一途にという感がある。それが失われると自己のアイデンティティーもなくなるかのごときである。

 翻って、日本人は一般に“淡泊”な国民性と言われてきた。大昔は別として移民の歴史もない。島国という環境がもたらした特殊性も大きい。しかしグローバリズムの時代を迎えて、今改めて国としても、個人としても、自己のアイデンティティーが問われる状況に直面しているのではないだろうか。失うと自分の存在すら否定されるような事態が起きつつあるのではないだろうか。タンゴがはやっているのも、何か定かではないが、失ってはならないものを大事にする熱情が感じられるからではないだろうか。







(上毛新聞 2010年6月1日掲載)