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NPO法人足尾歴史館理事長  長井 一雄(栃木県日光市足尾町) 



【略歴】栃木県旧足尾町生まれ。足尾高、日本大卒。保険会社に37年間勤務。定年退職後の2000年に帰郷。05年、足尾銅山をテーマとする足尾歴史館を立ち上げる。


渡良瀬川への思い



◎忘れられない桜の名所



 足尾銅山の激動の歴史に翻弄(ほんろう)された渡良瀬川。その名の由来は、およそ1200年前にさかのぼります。日光を開山した勝道上人が、修験の途上この地に入り、対岸に渡ろうとしましたが、谷が深く、かつ流れが急なため困り迷っていると、ようやく渡るのにちょうどよい浅瀬を見つけ、無事に渡ることができたので、この地を「渡良瀬」とし、川の名を「渡良瀬川」と命名したと伝えられています。神子内川と松木川の合流点から下流を渡良瀬川と称してきましたが、1965(昭和40)年に、渡良瀬川の起点は、松木川の上流に変更されました。

 私は渡良瀬川の発祥地である日光市足尾町渡良瀬で生まれ育ち、高校を卒業後、足尾を離れました。70歳になった今日、渡良瀬の集落について改めて考えるようになりました。印象に残るいくつかの思い出を紹介します。

 渡良瀬の桜はかつて名所としてうたわれました。1895(明治28)年の日清戦争戦勝記念に、渡良瀬橋の左岸に多くの桜の木が植樹されたのが始まりで、明治、大正、昭和の時代、桜の季節ともなると桐生、宇都宮方面から実に多くの人たちが来たものです。夜はカラフルな色電球の下で、夜通し宴会でにぎわっていた子供時代を思い出します。近くの会社の新入社員が場所取りに早くから来ていた姿が目に浮かびます。

 私の子供のころは、馬が結構活躍していて、止まったかと思っていたら、大きな馬ふんをボッタボッタと湯気を立てて落としていました。するとすぐにどなたかが取り除き、きれいにしました。当時は、馬主が処理しているのかと思いましたら、業者が肥料に使っていたそうです。台所から出るごみも、玄関前のたるに入れておくと、同じく業者が豚のえさとして持っていきました。

 6年前だったでしょうか。車に乗っていた時に、ラジオから歌手、森高千里さんの「渡良瀬橋」の歌が流れてきて、ビックリし、感動しました。よく聞いていますと、足利にも渡良瀬橋があり、渡良瀬川が流れていて、そのあたりの景色をとらえて歌詞ができていたようです。当然、渡良瀬橋は本もとの足尾にあり、下流の橋もあり、川をダブらせながら心地よい気持ちで味わっていました。

 確かその近くの都市で、「渡良瀬市」という名称にしようという提案が出されたことがあり、ショックを受けた記憶があります。しかし、その話は立ち消えになり、ほっとしました。

 渡良瀬の桜は、2002年、植え替えられました。昔の面影はありませんが、しっかり育っていますので、足尾に来られる機会にご覧いただければ、花見の充実感を味わっていただくことができると思います。







(上毛新聞 2010年6月9日掲載)