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新島学園短大准教授  山下 智子(高崎市飯塚町) 



【略歴】福島県出身。同志社大大学院神学研究科修了。日本基督教団正教師。サンフランシスコ神学校留学、会津若松教会牧師などを経て、2008年春から現職。




「分かち合い」の大切さ



◎お互いを思いやる幸せ




 『世界がもし100人の村だったら』という本の、世界を100人の村に置き換えてみるという考え方は多くの方がご存じだろう。「たべもの編」によると、村びと100人のうち16人がいろいろなものをたくさん食べている一方で、37人はときどきしか食べられず、その内12人は戦争や災害でいつもおなかをすかせている。日本人が前者であることは明らかである。

 先日、わたしが働く新島学園短期大学では「分かち合い」をテーマにして野外チャペルアワーというイベントを行った。本学は新島襄の教育方針を受け継ぎ、キリスト教教育を行っているのだが、この日は中庭で輪になり風や日差しを感じながら、イエス・キリストが人々に示した分かち合いの大切さについて考えた。

 聖書にはキリストがやはり野外で輪になって集まっていた5000人以上の人々をたった5つのパンと2匹の魚で満たした話が記されている。しかもみんなが十分食べた後で残りを集めると12のかごにいっぱいになったという。

 不思議な話だが、この話はたべものの量に注目するのではなく、キリストの働きかけによりみんなの心が豊かにされ分かち合いの精神が生まれた話としてとらえると理解しやすい。みんなが自分のことばかり考えていると食べ物はまったく足りないが、みんなが他人のことを考え分かち合い始めると食べ物は十分足り、さらに多くの人を満たすことのできる残りまで生まれるのだ。

 「たべもの編」によると日本のわたしたちが捨てる食べ残しは世界一で、年に2000万トン以上、一方世界の食糧援助量は、年に1000万トンだそうだ。この事実をみなさんはどう考えるだろうか。

 もちろんお互いに思いやりをもって分かち合うことの大切さは誰でも知っている。しかし、知っていることと、実際にそのように生きることの間には大きな隔たりがある。そしてその隔たりを埋めるものこそ教育ではないかと考える。

 実際、野外チャペルアワーもキリストの分かち合いの話を聞いて終わりになったわけではない。その後サンドイッチパーティーを行い身近な仲間たちと分かち合う場とし、さらに世界の仲間たちとも分かち合うために中国青海省大地震被災者救援の募金を行った。

 ある学生の感想文には、バイキング形式のため食べられないものもあったが、この日はその分、他の人が食べたことを思い幸せな気持ちになったとあった。他にも学生たちがこの分かち合いを学び実践する場をとおして、実に多くのことを感じ考えてくれたことを知り、キリスト教教育の可能性を思った。







(上毛新聞 2010年6月12日掲載)