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創作きもの「にしお」社長  西尾 仁志(前橋市日吉町) 



【略歴】1971年、愛知県立芸術大美術学部卒。呉服小売業の「にしお」に入り、87年から現職。国内の蚕糸絹業の持続的な発展を図る「絹の会」の会長。



作り手たちの復権


◎顔が見えるもの作りを




 国内の製糸業が2社を残すのみとなってしまった。わが国の基幹産業でもあったのに、まさに風前の灯(ともしび)である。この先いつまで操業が続けられるのかを考えると、養蚕とともに国産の絹もまた、姿を消してしまう日が近いのではないかと危惧(きぐ)する。

 現在、国内で生産された生糸の量では、わたしたちが使う絹のわずか0・5%しか賄えない。いつの間にか、海外で生産された繭や糸に依存せざるを得なくなってしまっていた。

 このことは食料の自給率の問題をはじめ、あらゆる産業で進行していることではあるが、絹に対して特別な想(おもい)を抱いてきた民族として、割り切れないものを感じるのは、わたしだけであろうか。

 そんな絹や絹のきものに寄せられた尊い想いや憧憬(しょうけい)は、養蚕や製糸、そしてきものに加工されるための製織、染色、仕立てなど、そこに介在する作り手たちの存在を意識する中にこそ想起されるものだった。

 しかし今日、製糸はもとより、製織や染色、さらには和裁までもが、海外で多く行われているのが現実。それに引き換え、国内のきもの産業を支えてきた作り手たちの疲弊や伝統的な仕事からの離脱は、加速度的に進行している。

 「かつては、物も人間も、人間としてのやりとりの中で作られていった。そこには、作り手、つまり職人の心意気が見えたし、間に立つ商人ともコミュニケーションがあった。着物はそのように作られ、又、使った人から次の使い手へと渡っていった。一枚一枚に個性があり、物語があり、存在理由があった。その存在感を大事にしていたならば、きものは決して今日のように衰退しなかった」(石川英輔・田中優子共著『大江戸生活体験事情』)

 きものは、職人たちの高度な技術と手ごたえをそこに感じることで、存在感を持ち得た。しかし今日、手ごたえはおろか、そんな作り手たちの顔さえ見えにくくなってしまった。

 このことはもちろん、きものに限ったことではない。流通が複雑化する中で、あらゆるものにおいて、作り手を意識することが少なくなってしまった。

 物に対しての思い入れや、それをいとおしみ使うといった感覚は、そんな作り手を感じることの中で育(はぐく)まれたものだった。

 日本人は、もの作りを大切にする気持ちを、どの民族よりも強く持っていたのではないだろうか。そして、その技を尊重した。しかし、そんな風土が今日、薄れつつあるように感じる。

 大量生産・大量消費を促すための生産効率の追求が、いつしか、きものの文化を矮小(わいしょう)な領域へと押し込めてしまった。きものの存在を支えてきた作り手たちの確かな復権がなければ、きものに未来はない、とさえ思うのだが。








(上毛新聞 2010年6月24日掲載)