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東京福祉大学大学院教授  手島 茂樹(前橋市下佐鳥町) 



【略歴】日本大大学院文学研究科心理学専攻博士課程。育英短大教授を経て現職。専門は臨床心理学。大学院にて臨床心理士を養成。日本パーソナリティー学会理事。


カウンセリングとは



◎心の出所を見つける旅




 何ゆえカウンセリングに訪れるのか。一言で申せば「自分を取り戻すため」と言ってよいと思う。心身共に安全が守られた部屋で、ひとしきり悩み、ご自身の心と対話し、整理・整頓をし、自分の取り戻しを完了させ、さっと去っていく、そういうプロセスである。

 時に、人は、自分の意志に反した行動をしてしまう。例えば「わが子はかわいいはず。しかしつんつんして、近づけさせない」「もっと優しくしたいはずなのになぜ」ということで相談室にやってきて、その心の出所を見つける旅に出る、そのような姿がカウンセリングである。

 すなわちカウンセリングとは、自分が成長してしまったので、今着ている衣類を自分の背丈にあったものに手直しをするような作業、そう思っていただけたらと思う。

 具体的にはこうである。人は自分のイメージを持っている。そして、そのイメージに沿って生きようとする。例えば「私は良い親である」というイメージを持っているなら、普段は良い親として献身的に生きる。決して怒りにまかせてわが子をぶつことはしない。しかし、われわれは人間である。時に怒りが生じ、ぶってしまう。

 そのような時、人の心はどのように動くか。心というもの、ここが厄介なところである。私は良い親であるというイメージは変えたがらない。そこで、次のような決着をつける。わが子が間違ったことをしたので「しつけ」として殴った、である。よく虐待をしている親が、強い子になってほしかった、しつけとして厳しくしていた、これも同様な原理である。

 さて、これでひとしきり安定となる。自分のイメージもホンネも生かされたからである。しかし、これでも本来の素の自分を十分には生かしきれていない。やはり不便であり、不自由である。そこで、カウンセリングでは、素の自分を深く知り、本当の感情とどのように折り合いをつけるか、その作業をお手伝いしていくのである。

 50歳から65歳は思秋期と言われる。取り合えず、としても青年期に自分探しをして、自分を確立し、その線から職業も結婚生活もしてきている。しかし、子どもは巣立ち、また、職業的には定年を迎える。さて、今後どうしていくか。そういう観点から再度、素の自分の見つめ直しが求められる時期となる。現在、大学院には中高年の人々が数多く学んでいるが、自分への再チャレンジとしての意味があろうかと思う。

 中高年の人々も含めて、現在人には、自分を見つめる場所がもっとあってよいと思っている。相談室はこうした病気ではない一般の人々のメンタルヘルスの対処の場としても役立っていることを伝えたい。








(上毛新聞 2010年7月5日掲載)