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随筆家  牧野 將(館林市上三林町)



【略歴】旧満州国生まれ。1971年から本県に在住。長く金型設計業務に従事した。96年に放送大学卒業。著書に『赤陽物語~私説藤牧義夫論』がある。



未完の日本画(5)



◎絵巻で独自の遠近法




 館林市出身の日本画家・藤牧義夫が未完ながら≪絵巻・隅田川≫を描いたのは1934年ころです。この150余年前には、鶴岡蘆水(ろすい)という人が≪隅田川両岸一覧図絵≫を完成しています。隅田川の東岸と西岸の風景を、絵巻(えまき)に描き上げた唯一の画家かも知れません。

 藤牧の絵巻と、蘆水の絵巻、そしてもう一つ中国の張択端(ちょうたくたん)の画巻と伝えられる≪清明上河図(せいめいじょうがず)≫の3巻を並べて見られるといいのですが、残念ながらない物ねだりになってしまいます。

 蘆水は隅田川の岸辺に忠実で、流れに平行に移動して対岸の有名な建物や風景、あるいは橋を描き出しました。しかし、川の両岸の風景は、流れに沿って岸辺で写生しているだけでは、岸辺から見える範囲だけで終わってしまいます。そこで藤牧は写生の位置を活発に移動しました。

 例えば、藤牧は墨田区側の白鬚(しらひげ)橋のたもとで写生をしていたかと思えば、次には川岸から東へ約200メートルも離れている白鬚神社の境内に入っているという具合です。この神社は墨堤からは見えないので、そこまで行かないと描けません。

 そして驚くのはいとも簡単に、西岸の台東区側に渡ってしまうことです。まるで浅瀬を徒(かち)渡りしているようですが、そこの所の東岸と西岸の風景を、無理なく実に滑らかにつないで見事です。その台東区で、飛び込み台付きプールを絵巻の幅いっぱいに実に豪快に描いています。この体育施設も東岸からは見えない所です。

 藤牧は、そこに隅田川が流れているのをまるで忘れているかのごとく、ジグザグに行ったり来たりして渡っています。そして、最後は墨田区の三囲(みめぐり)神社を描いて第3巻を終えています。

 藤牧は創作版画で「稜線(りょうせん)光法」という彼独自の光表現を考案しました。その姿勢は絵巻においても同じです。彼だけの絵巻表現を考えていたようです。藤牧は、写生位置を任意に移動するという、川岸から思い切って離れる決断をし、川沿いの狭さに拘束されない写生法を考案したのです。これにより、川を挟んで左岸右岸共に幅広な距離が確保できました。これは大和絵などで多用される俯瞰(ふかん)図や吹抜(ふきぬき)屋台など、上から見下ろす方法によらない全く藤牧独自の「遠近法」を獲得したことになります。いつも変わらない独創的藤牧の面目躍如の姿が見えます。

 これまでに例を見ない藤牧の絵巻。その構想・アイデアは、彼のどこから生まれてくるのでしょうか。どこかにヒントを見つけたのではないでしょうか。

 ≪清明上河図≫は、川と近接する城郭内外の繁盛振りを合わせ描くことで、川をテーマの画巻に広大さを表現しました。藤牧は、数ある絵巻の中でも、この画巻に強い刺激を受けていたのではないでしょうか。








(上毛新聞 2010年7月20日掲載)