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随筆家  牧野 將(館林市上三林町)



【略歴】旧満州国生まれ。1971年から本県に在住。長く金型設計業務に従事した。96年に放送大学卒業。著書に『赤陽物語~私説藤牧義夫論』がある。



未完の日本画(6)



◎版画の絵巻化を構想




 館林市出身の日本画家・藤牧義夫が、現存する≪絵巻 隅田川・全四巻≫や、行方が分からない≪尾曳神社絵巻≫、≪清澄山絵巻≫など「絵巻」の制作に着手したのは、1934(昭和9)年夏ごろからと考えられます。

 藤牧の健康状態については繰り返し述べているところですが、彼はその体調不良を押して「絵巻」の制作に着手したことになります。翌35年9月2日の失踪(しっそう)まで1年余りしかありません。彼は、隅田川の堤に立ち、写生を続けながら、自分の画業の夢と、それを脅かす病魔の怖さで、何か分からない不安におののいていたかも知れません。なにやら不気味でさえあります。

 しかし、藤牧は、自分の残された活動時間を知ってか知らずか、おのれの画業の展望や構想を練っていました。その意気込みは積極的で病的な印象は全く見えません。例えば彼が35年4月に同人誌に載せた『都会を流れる川』と題した随筆では、800字弱の短文ですが、「絵巻と版画」についての関係や将来的なことについて具体的な考え方を述べていて、重要な一文です。ただし、ここでは「絵巻」という言葉は全く使われていません。にもかかわらず絵巻を連想させる文意に、筆者は注目しています。藤牧が、版画仲間に絵巻のことを何も話していないことと併せて考えると、彼が何事かを胸に秘めていた(?)ものを感じる不思議な随筆です。

 この中で藤牧は、広重と北斎を「川を風景画として描いた最初の人々…」と評価し、続いて「(川に)運命といふか、人生といふか、何か人格化された生活の流転相を浮かべて来る」と、大観の≪生々流転≫を意識した風に書き「川」を重要なテーマにしていることを明言しています。そして「川を版画で扱うのに(略)、これは独立した一枚版画よりも連作版画とか、筋を追った版画とかの組織的制作でなくては現わせない。情緒を主とした古い版画から、もっと生々しい迫力をもった新しい版画が追求されるようにやがてなろう」と書いています。

 版画は画面の狭い1枚の絵ですが、藤牧は「版画に絵巻のような連続性を」与えようと考え、それには版画を接続(連続)してゆくことにより物語を展開できる「版画絵巻」の構想を語り、それを「組織的制作」と呼ぶなど、自分の画法の創造に腐心している様子が分かります。「版画の絵巻化」など誰も思いつかない構想を、一人で膨らませていたのです。でもいつかは、仲間にこの構想を発表するつもりだったのでしょう。それにしても、版画絵巻を実現するには、それこそ何年もの時間と膨大なエネルギーを必要とするでしょう。でも藤牧は、構想だけを残し、無言のまま姿を消してしまいました。







(上毛新聞 2010年9月14日掲載)