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日本タンゴ・アカデミー副会長  飯塚 久夫(東京都世田谷区)



【略歴】前橋市出身。東京工業大大学院修了後、電電公社入社。本業の傍らタンゴを研究し「タンゴ名曲事典」(中南米音楽刊)の共著も。現在NECビッグローブ社長。


アルゼンチンに学ぶ



◎希望忘れぬ明るさ




 アルゼンチン・タンゴの盛衰を題材に、なぜ今あらためてタンゴ・ブームか?その背景にある「真情の吐露」「故郷回帰の想おもい」「自己の存在証明」「年齢を超えた情熱」などの要因を探ってきたが、最終回は「将来への希望」ということを考えてみたい。

 この8月末、ブエノスアイレスで行われたタンゴ世界選手権大会で昨年に続き日本人が優勝した。この大会が始まった2003年はアルゼンチンという国はどんな状況にあったか。実は01年12月にデフォルトを起こし国の経済が破はたん綻したばかりだった。しかし国が破綻したにも関わらず、国民は食べるものに困ることもなかった。当時アルゼンチンを訪れた私の知人は、破綻国とは思えない光景、すなわち相変わらず一般の人々がレストランで何百グラムもの肉をほおばっている姿を見て一瞬驚いたという。

 しかし、すぐに当たり前のことに気付いた。この国は資源と食料はいくらでもあるのだということに。加えてもっと大切なことは、この国の国民性、タンゴという短調を基調とした暗い音楽を好む半面、実は常に「将来に対する希望」という明るさを忘れない気質が貫いているということである。

 この国が生み出したタンゴは、19世紀末の草創期は野卑な存在であったが、20世紀になると欧州で、戦後は日本で、一世を風ふうび靡するほどになる。しかし、ロック音楽の台頭とともに衰退するが、この20年来、アストル・ピアソラというタンゴ音楽家と、(社交ダンスではない)本来のアルゼンチンタンゴ・ダンスの魅力が、史上初めて世界的なブームを呼び起こした。

 そんなことが重なっていた03年、時のブエノスアイレス市長が始めたのがこの世界選手権大会であった。それは見事な波及効果を生み出し、毎年この時期には世界中から10万人を越える参加者がブエノスアイレスに集まり、それなりの経済効果をもたらしている。

 あれから10年足らず。アルゼンチンは平均GDP成長率7%を続けている。この日本が昨今「失われた20年」と言われるのと何と皮肉な対照であろうか。しかも、日本の方が資源も食糧も乏しく「破綻の危機」を迎えかねない状態だ。

 かつて20世紀初頭、アルゼンチンは電気、地下鉄などの先進技術を日本より早く導入した国であった。日露戦争の際にもアルゼンチンは、日本の勝因となった「日進」「春日」という軍艦を(ロシアでなく)日本に譲ってくれるほどの国であった。あれから100年。多くの日本人は遥か遠い地球の裏側の国くらいにしか思っていないだろうが、少なくともあの「将来への不断の希望」を忘れない「明るさ」だけは学びたいものだ。







(上毛新聞 2010年9月20日掲載)