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織物製造・販売  山岸 美恵(館林市仲町)



【略歴】1974年に結婚し、家業(山岸織物)の手伝いに入る。25年ほど前から二次製品のデザイン、製作を始め、前掛けやブラウス、シャツなど約20種類を手掛ける。


館林紬



◎人との出会い大切に



 東武線・館林駅の2階改札口を出て西口方面へ向かうと、通路の壁に館林紬(つむぎ)の幕が飾ってありました。これは2010年4月18日から5月23日まで行われた「花と緑のぐんまづくり2010年in館林」のクロージングセレモニーで使用されたものです。

 館林女子高生の「朝日」「つつじ」「城沼」をイメージした縦14・4メートル、横2メートルの大きな幕です。これほど大きな作品は作ったことがありませんでした。しかも日程があまりなく、作業は大変でしたが、担当部署の皆様の協力によってでき上がったものです。

 思えば、私と館林紬のかかわりは、織物業を生業(なりわい)としている家に嫁いで来たことから始まりました。初めのうちは、糸と染料の匂いに何となく抵抗を感じていましたが、いつの間にか感じなくなり、気付いた時には35年の月日が過ぎていました。

 その間、染色、整経、織り場の人たちと「良いものをつくろう」「良い唐桟縞(しま)を織ろう」と励まし合いました。しかし時代の流れでしょうか、だんだん反物が売れなくなってしまいました。

 そんな時に、いつも思い出していたのが、高校卒業間近の頃に、父の仕事を手伝っていた母から言われた言葉です。「お前のまわりには、大勢の人がこの仕事で生計を立てている。その人たちには大勢の家族がいる。そしてそのお陰で私たちも元気で暮らしていられる。このことを忘れないで」。この言葉が、私のものづくりのきっかけになったような気がします。

 「少しでも反物が売れて、良い縞ができるように」「1台でも機械を止めることがないように」。そんな気持ちでシャツやブラウス作りを始めました。幸いにも、若い頃に洋裁を習ったことが役に立ち、帽子、小物、エプロンなどと、次第に種類も多くなりました。

 その品物をつつじケ岡公園の一角で販売しました。それまでは販売などしたことのない私にとって、主人が織った反物を製品に仕立てて売ることは冒険でした。しかし思い切ってやってみると案外楽しいもの。毎年思うことですが、その年、初めて品物が売れた時には、それはそれはうれしいものです。

 生地を生産して品物を作り、販売することは、物の売り買いだけでなく、人との出会いを大切に、人を大事に思うことが、良い品を作る原点ではないかと思っています。

 いま思うと、母の言ったひと言が私のものづくりの支えになったいたのだと思います。

 暖かくて、やさしくて…そんな良い素材に恵まれた館林紬。人は良い音楽を聴くと、心がやさしくなるそうです。「人をやさしく包み込んでくれるような製品ができれば…」と思っています。







(上毛新聞 2010年12月15日掲載)