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◎諭吉が消滅の危機救う 別府に来て2年余りがたつ。まだ未知なことが多いが、毎日海を眺め、おいしい魚に舌鼓を打ち、温泉につかれるのがいい。 上毛かるたの「耶馬溪しのぐ吾妻峡」で有名な耶馬溪は、大分県にあるというのでさっそく出かけた。 耶馬溪は福沢諭吉出身の中津市、全国の八幡社の総本宮宇佐神宮がある宇佐市などにまたがる。山国川上中流域に東西40キロ、南北35キロにわたり、岩石美・渓谷美と新緑・紅葉の森林美と、寺社などの人工美とが融合し、耶馬溪66景といわれる水墨画のような風景が連なっている。 菊池寛の小説『恩讐の彼方に』で有名な、ノミと槌つちだけで作ったトンネルの青の洞門も耶馬溪にある。 江戸時代、儒者・詩人の頼山陽が訪れ「耶馬溪山天下無し」と絶景を激賞し、「山」国川から「耶馬」溪と名付けた。 何度かの火山噴火により積み重なった質の違う溶岩が、河川の浸食により奇岩秀峰や瀑ばくふ布を形成し、競秀峰や青の洞門などがある本耶馬溪以外にも、明治に新道を開通してから深耶馬溪などが開け、仙人岩、夫婦岩、群猿山など8つの景色が眺望できる「一目八景」が有名で、特に紅葉に映える名勝は見ごたえがある。 吾妻峡は吾妻川の清らかな流れと岩肌と紅葉が見事である。耶馬溪は大混雑に出かけたためかほこりっぽい印象が強かったが、奇岩をはじめ、見どろが多い。山紫水明では吾妻峡がしのいだが、規模が壮大なことは耶馬溪が上まわる。 1923(大正12)年に名勝に指定され、50(昭和25)年に「耶馬日田英彦山国定公園」に指定され、いまは二重に保護されている。 吾妻峡は八ツ場ダムに沈むのか、政権交代以来ビミョウなようだが、耶馬溪も一時消滅の危機があった。 耶馬溪の中心的な位置にある競秀峰一帯の土地が売りに出されていることを、1894(明治27)年に中津へ帰郷した福沢諭吉が知った。樹木伐採や宅地化などにより景観が失われることを恐れ、村長と相談して購入を決意した。福沢はすでに有名なので、義兄名義で、3年間かけて目立たないように少しずつ買い取った。その後地元の人に所有権を譲渡し、風致林として保全され、耶馬溪の景観は守られた。 イギリスで19世紀末にはじまった、無理な開発から自然環境を保全するために土地を購入する、ナショナルトラスト運動とまったく同じである。観光地としての耶馬溪のにぎわいも、先人のこうした努力の結果であることを、忘れてはならないだろう。 多くの観光客に支持され、ますます名勝地としてさかえる耶馬溪をしのぐと自慢した吾妻峡は、八ツ場ダムに揺れながら、どうなるのだろうか。保全されることを期待している。 (上毛新聞 2011年1月4日掲載) |