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◎将来に役立つ痕跡検証 幼いころ、家の周りにはいくつかの小高い土盛りがあり、子供たちの遊び場の一つになっていた。それらが古墳であることは小学生になって知ったが、田舎にも開発の波が押し寄せたり、大規模な土地改良事業が実施される過程で、それらの多くが消失していった。一方では地面の下からは新たに多くの住居址(あと)などが見出された。 そんな環境の中で、小さなときから発掘現場に出くわすことが頻繁にあり、いつの日か発掘する人になりたいというあこがれのようなものが芽生えていた。あそこの畑には土器のかけらが、こっちの畑では石器が拾えることを経験として知っていたものだ。 野山を遊びのフィールドとしていたが、生物、特に爬はちゅう虫類は苦手であった。そのぶん、石器や土器など無機質的なものに興味を持っていた。長い時間の経過にもほとんど変化しない。そんな安定感に心地良い感覚を見出していたのかもしれない。 大学は、その延長上で、地質学を選んだ。地質学では岩石や鉱物が直接の対象であることが多い。まさにほとんど無機質なものである。人間も含めて動物が少し苦手なため、古生物学にはあまり興味を持てなかった。幼い時の感覚が抜けていなかったのだろう。 地質学を学ぶ過程で、指導教官から「多くの人に役に立つという立場で学問をやらないといけない」と言われた。頭では分かっていたつもりだが、自分にとっては目の前の課題に取り組むのが精いっぱいで「役に立つ」についてあまり深く考えなかったように思う。 そんな自分を変えることが二つあった。40歳になったころである。一つは新潟大学教授の高浜信行さんとの出会い。氏のテーマの一つに災害地質学がある。古文書にある災害を地質学的に検証したり、新たに災害の痕跡を見出したりして将来に役立たせることが目的で、極めて人間くさい領域である。人命や生産活動に被害を受けなければどんな自然災害も単なる自然現象である。自然と人間の相互作用の上に災害は発生する。そんなものの見方、災害に対する考え方を親身になって教えてくれた。自分の知らない世界があった。 もう一つは、1995年に発生した兵庫県南部地震による阪神・淡路大震災の調査への参加である。六甲山の崩壊調査を目的として現地入りした。多くの人に会い、被災者の苦しみやいろいろな訴えをじかに受け止める機会でもあった。このとき、指導教官の言葉が本当に胸に染みた。 「あの人は人が変わった」というとあまり良い意味ではないことが多いが、人は人とのつながりの中で鍛えられ、視野が広がりまた成長し、さらにさまざまな体験を通してより良く変われるということを心のどこかに留めておきたい。 (上毛新聞 2011年1月10日掲載) |