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◎異郷の地でしのぶ故郷 上州で生まれ育った矢島保治郎(1882~1963年)は、故郷の赤城山を愛し誇りに思っていた。自分の号を「矢島赤城」としていたほどである。 その矢島が1世紀以上前に巡った道程を辿たどってみたいという思いは募るばかりであった。 僕は20年前から『三国志』の取材で中国全土を歩いていた。しかし、ここ3年間で矢島が辿った上海―南京―武漢―鄭州(ていしゅう)―北京―鄭州―洛陽―三門峡―西安―宝鶏―漢中―広元―剣閣―綿陽―徳陽―成都というコースを逆に成都から出発し、1度目は北京まで、2度目は上海までを車で延べ35日間かけて走破した。走行距離は1万500キロに及んだ。 さらに矢島が四川省ルートでチベットに入ってちょうど100年目となる昨年の5月と7月に、彼が約1年間滞在した成都周辺を回り、そして4カ月間滞在したチベットへの玄関口である打箭炉(ダルツェンド)(現在の康定(こうてい))まで足を延ばした。 7月の旅には矢島保治郎の一人娘の仲子さんが一緒であった。矢島の日記のなかに「この辺りは桑樹竹林が多く故国と同じようである」と記述されている綿陽、矢島も参拝した徳陽の●統祠(ほうとうし)、成都で下宿をしていた文廟街(ぶんびょうがい)、体操と剣術の教師をしていた陸軍速成士官学堂(校)と測絵学堂(測量製図学校)の同僚日本人教師らと新嘗(にいなめ)祭の祝賀会を開いた武候祠(ぶこうし)などを巡った。 現在の成都は1200万人を擁する近代都市へと発展をとげているが、矢島が滞在した当時は「絹織物の産地なので機音が聞こえ、故郷を思い出して懐かしかった」と日記に書いたような一地方の町だった。 三国時代の蜀(しょく)の宰相・諸葛孔明が推奨した蜀繍(しゅう)は、いまも中国四大名繍のひとつとして人気が高い。 100年前の在りし日の若き父をしのび、文廟街の街角などを歩く仲子さんを撮影した。 矢島は中国から頻繁に上州の父親宛てに手紙を出している。その文中には故郷に関することが幾度ともなく出てくる。「成都を出で四日路後(原文のママ)は恰も故郷赤城山中を走り回る如き心地致し申候。山河の風景は一層の美にして是を父兄に紹介せんも…如何せん残念至極なり。打箭炉の気候は故郷三、四月の気候。加ふるに強風あり。支那に渡りて始めて此の風に逢ふ。風に於ては上州の風もハダシなり。…」と故郷からはるか5千キロ以上離れている中国とチベットの国境の地を吹く風に故郷の赤城颪(おろし)を重ね合わせているのだ。 異郷の地を旅してはじめて、祖国や故郷、そして家族のことなどをあらためて見つめなおすことができる。そして、近くに身を置いている時には決して気づかなかったその美しさやありがたさをしみじみと感じるものである。 編注:●はマダレに龍 (上毛新聞 2011年1月16日掲載) |