視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
.
みどり市観光ガイドの会会長  松島 茂(みどり市東町)



【略歴】旧勢多東村出身。城西大卒。両毛建材社長を経て2005―09年、わたらせ渓谷鉄道社長を務めた。今年7月に発足したみどり市観光ガイドの会の初代会長。


花輪の遺産



◎学ぶこと多い偉人たち



 街中を観光ガイドして歩くと、その土地の偉人を紹介する機会が当然の事として起きてくる。今回はあかがね街道(足尾銅山街道)の宿場町である、花輪宿で生まれ育った偉人たちを紹介してみよう。1649年あかがね街道がこの地に拓ひらかれて以来、山村にも江戸の文化や情報がいち早く入って来た。そして人間が大きく成長して行く上で大事な環境の一つがこの宿場町にはあった様である。

 まず糸井鳳助という人物。生年、没年とも不明であるが、彼は「二世十返舎一九」と称され、文字通り一九の一番の門下生であった。浮世絵、狂歌、人情本と多才を示した。その後、蘭学を学び、江戸を追われて故郷上州に帰り、赤城山南面に隠れて著作出版活動を続けたという。

 その鳳助没後十数年のころ、同じ宿場内に童謡の父・石原和三郎と、日本製鉄の父・今泉嘉一郎が誕生している。1872年学制が発布された翌年、花輪小学校が、●禅寺を間借りして開校している。時を同じくして入学したのが石原和三郎であり、今泉嘉一郎である。お互い別の道に進んではいるが、多いに共通点があると感じている。それは物事を大所高所から見つめ、日本の将来を真剣に考え、そして具体的に行動を起こしているところである。

 石原和三郎は子供たちをどう教育するかで日本の未来を切り開こうとしたのである。そして国語教育、音楽教育でそれを実践していった。十分な地位がありながら職を辞し、出版社で坪内逍遥らとともに国語教科書の編纂(へんさん)に傾注したのであった。そして言文一致の唱歌を百篇あまり作り上げている。日本人なら誰もが知っている「兎と亀」「浦島太郎」「金太郎」等、みどり市東町の素晴らしい環境が育んだ、心温まる作品ばかりである。

 今泉嘉一郎もまた同様である。東京帝国大学卒業の後、農商務省技師補として国営の八幡製鉄所の設立に携わり、多くの実績を残した。しかしながら、40代の若さでそこを退官し、自ら仲間と共に日本鋼管株式会社創立に参画したのであった。「製鉄は軍事力に使うのではなく、平和的殖産事業に使ってこそ国の発展がある」と戦時中にもかかわらず訴えた。

 逆境に耐え、学び、働き、国を思い、郷土を愛してやまなかった我が先人たちには、教えられることばかりである。現代に生きる私たちはそこから、何を学び何を伝えていけばいいのだろうか。今失われかけている本当の豊かさを身に付け、未来に引き継いでいかなければならないと強く感じるのである。

 ちなみにこの先人たちの資料が、みどり市東町花輪の旧花輪小学校記念館に、東町座間の童謡ふるさと館に展示されている。一見の価値ありである。




                                      編注:●は示ヘンに羊






(上毛新聞 2011年2月10日掲載)