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ステージサービス群馬社長  添川 秀樹(前橋市富士見町石井)



【略歴】早稲田大社会科学部卒。日本ホールサービス取締役群馬支社長を経て現職。現在、社団法人企業メセナ群馬理事。群馬楽友協会理事(事務局長)。



自主文化事業(2)



◎明確な理念と執念必要



 朝7時、発声練習の歌声が目覚し時計となった。所は榛名湖畔にある建て替え前の「ゆうすげ元湯」。1996(平成8)年に第1回を開いてから、以降11回を数えた「榛名梅の里音楽祭&日本の歌スプリングセミナー」の練習及び宿泊会場でした。

 この事業は榛名町(現高崎市)と、榛名文化会館を受託運営する文化振興財団が企画・実施した自主事業。北は北海道、西は広島県から37組の、主としてオペラ歌手、ピアニストが集いました。実技は塚田佳男、竹沢嘉明、関定子、青山恵子の4氏、座学は黒沢弘光、瀧澤隆の2氏が講師を務めてくれました。既に体得した西洋のベルカント唱法で、日本歌曲の音律をいかにして歌うかを研究実験する先進的な事業でした。

 私はこの事業に以後4回まで、運営スタッフのディレクターとして参画。演奏家と起居を共にしました。

 「日本の歌」をテーマにした全国初のセミナー。会期6日間のタイムスケジュールは―。朝7時の個人練習から高低差700mの文化会館への会場移動。1日3コマのレッスン。そしてその間に実施される音楽会。受講生は夜10時の音出し禁止時間までタイトな時間を過ごしました。この事情は講師陣もスタッフも変わりなく、またレッスンは公開されて、聴講された多くの方々とも「日本の歌」「日本の心」を実感する濃密な時間が共有できました。

 受講生は、住所も年齢も千差万別。ここで初めて会った方々がほとんど。文化事業に「種まき」の意味があるとしたら、その後受講生3人の活動は早い発芽でした。東京、神奈川、石川在住の受講生が、セミナーを縁に知り合い、その年の11月に東京と金沢で「ゆうすげの詩」と題した「日本の歌」コンサートを行いました。この種の演奏会は、それ以後広島、福井の県民会館でも行われました。

 文化事業を計画するに当っても、先ず明確な「理念」、実施する「執念」がなければならないと教えられました。その成果は最低10年(10回)を経て評価の対象となるべきものと思っております。文化事業には、息の長い取り組みが不可欠です。

 その後、4人の講師は台東区奏楽堂(旧東京芸大奏楽堂)での日本歌曲コンクールの審査員となりました。受講生からも積極的にこの最高峰のコンクールに挑戦して、多くの高位入賞者を輩出しています。

 このセミナーで忘れ得ない光景があります。受講生には榛名町特製の絵はがきを5枚差し上げました。全国からの受講生は、このセミナーでの出来事を記して全国に発信してくれました。5枚では足らずに売店で、絵はがきと切手を自ら買い求め、群馬と榛名とセミナーを発信し続けてくれたのです。







(上毛新聞 2011年3月19日掲載)