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ピアノプラザ群馬代表取締役  中森 隆利(高崎市問屋町西)



【略歴】静岡県磐田市出身。高崎経済大経営学科卒。家業の日本シュバイツァピアノで経営と技術を学び、1974年、ピアノプラザ群馬を創業。群馬交響楽団運営理事など。


寄付という行為



◎文化支援につなげたい



 昨年のクリスマスに、「伊達直人」の名前で新品のランドセルが前橋市の児童相談所に届けられ、それが全国に波及してタイガーマスク現象と言われたのは記憶に新しい。

 私が一番注目したのは、受け取った施設側が率直に「ありがたい。この善意を役に立たせてもらう。困った子供が喜ぶ」等、感謝を伝える姿がテレビで放映されたことだ。

 その後のメディアの報道でも、現象という表現を使いながらも、拾得物扱いや興味本位の「伊達直人」捜しをしなかった。このことが、福祉や日本的な寄付の在り方を考えるきっかけを与えたと思う。

 寄付という行為は、日本では税制問題や偏見の多さからうまく機能していないように思われる。数年前にニューヨークのリンカーンセンターで演奏を聴いた時に受け取ったパンフレットには、誰が、幾ら、何に対し、どのように寄付したかが詳細に書かれていた。

 日本でも著名な寄付の財団のホームページを見ると、社会問題の解決のための「夢の貯金箱」に匿名の10円単位から千円単位の名前入りの寄付まで全て掲載され、大口の1千万円以上では個人名の基金ができて使用目的を限定できるようになっている。

 そして、事務経費などには一切使われず、寄付金の全てがその目的のために使用されることが明記されていて、長年善意の寄付を続けている企業や個人の多いことが分かって心強い。

 さて、成熟社会において最も大事なものは文化である。日々の新聞紙上では文化を核にした都市の建設、文化による国際貢献等々の記事が載っている。聞き心地は良いが、その実態は福祉や教育のように目的や概念が明確でない。総論的には「重要だ」「大切だ」といわれながら、各論になると何をやっているのか、どんな援助が必要なのか分からない。ひどい場合は「好きなことをやっている」の一言で片付けられることも多く、その延長上で事業仕分けの対象になりやすく、これが問題となる。

 群馬の文化の象徴の一つである群馬交響楽団も例外ではない。県民に愛される楽団を目指す群響も事業仕分けで、助成金の減額の影響を受けている。そこに制度上必要となった公益法人への移行問題が間近に迫り、財政基盤の安定が絶対条件となっていて存亡の危機に立っている。

 自助努力の入場料収入増や依頼公演の獲得、そして、公的な支援のほかに企業や個人の協賛や寄付が欠かせない。私が「県民全体で支えなくては大切なものを失うことになる」と話すと、誰もが「何とかしなくては」と言ってくれる。この気持ちを、税制上の特典もある協賛や寄付につなげるような分かりやすい仕組みができないかと思う。






(上毛新聞 2011年3月24日掲載)