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大妻女子大教授  干川 剛史 (神奈川県相模原市)



【略歴】前橋市生まれ。慶応大大学院修了。阪神・淡路大震災から情報ボランティアを実践する。徳島大助教授を経て、現在、大妻女子大教授、日本災害情報学会理事。


東日本大震災に思う



◎支援に情報通信を活用



 3月11日に発生した東日本大震災で亡くなった方たちのご冥福をお祈りいたしますとともに、被害を受けられた多数の方々にお見舞いを申し上げます。

 「ついに来るものが来た」というのが、率直な気持ちである。阪神・淡路大震災から16年間、数々の災害で実践してきた支援活動の積み重ねが「今、試されているのだ」と、身も心も引き締まる思いで、今回の地震発生以来、日々を過ごしている。

 地震発生当日は、研究室で論文原稿をパソコンで作成している時に、揺れが始まった。すかさずドアを開け、地デジ放送対応モニターの電源をつけると、NHK総合テレビの放送で、「宮城県北部で地震発生、強い揺れに注意してください」というアナウンスがあった。その直後から揺れがだんだんと強くなり、研究室の書棚の本や資料が落ちて床に散乱し足の踏み場もない状態になった。これが、私にとっての今回の地震の始まりである。

 この原稿を作成している3月17日現在、同僚の教員たちと一緒に学生の安否確認に追われながら、被災地の支援活動の準備に災害ボランティアの仲間たちと取り組んでいる。

 16年前の阪神・淡路大震災当時との大きな違いは、大学教員の本務としての学生の安否確認についても、災害ボランティアとしての被災地の支援活動についても、インターネットや携帯電話、パソコン等の情報通信機器を使って、同僚や仲間と情報のやりとりをしながら、非常に効率よく共同作業が進められるということである。

 16年前は、電話とファクスしか通信手段がなく、私は、当時奉職していた徳島大学では、学生にほとんど被害がなかったため、安否確認をする必要はなかったが、被災地の淡路島でのパソコン通信を利用した支援活動は、非常に困難を極めた。

 というのは、当時は、被災地でパソコンを使って情報通信のできる人は極めて限られており、私を含めた「情報ボランティア」の活動は、パソコンを使わない大多数の被災者や支援者にとって、ほとんど役に立たなかったというのが実情であった。

 しかし、現在では、老若男女が日常的に携帯電話やパソコンからインターネットを通じて情報の受発信を行っており、今回のような緊急時にも、それらの道具を、何の苦もなく安否確認や支援活動のために使えるようになったのである。

 筆者にとっては、隔世の感があるが、現時点では、そのような感慨にふけっている時間や気持ちの余裕もなく、本務をこなしつつ、被災地支援に取り組む日々である。





(上毛新聞 2011年3月28日掲載)