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中之嶽山岳会長  飯嶋 常男 (下仁田町上小坂)



【略歴】甘楽農業高(現富岡実業高)卒。25歳で山岳会に入り、妙義山の登山道整備や山岳遭難者の救助に携わってきた。近年は同山や郷土史の調査にも取り組む。


名産コンニャク



◎需要開拓や商品開発を



 いまマスコミで「平成の開国」が話題となっている。TPP(環大平洋連携協定)の問題である。

 安政の開港・開国以来、生糸貿易が輸出産業のビジネスモデルとなり、明治・大正期の国を成り立たせた。その後、軍艦や航空機を国家予算で生産する軍需産業が発展した。戦後は、戦前に蓄えた技術力で新産業が勃興。昭和40年代以降は国民所得の向上で内需が活発となり、産業界は成長して、鉄鋼・電機・車両・船舶等が輸出産業として国の根幹となった。

 輸出産業は、TPP交渉で自由貿易の枠組みテーブルに入れてもらえない場合は関税を払うことになり価格競争力で後退。現地生産する方向となり、国内生産の縮小で雇用が少なくなるかもしれないとされる。一方、農業はというと、日本の農地は国土の12%ほどで、現在の人口からすれば米・野菜類が自給できる程度。麦類と穀物で育てる肉類や油脂は輸入に頼らなければならず、食料の安全保障上に問題があるとして、農業関連団体はTPP反対を叫んでいる。

 農業問題は、1993年のような米騒動を起こさせない方法や戸別補償制度(米・麦・大豆)があるが、米作専業農家と米作兼業農家を明確に区分けし、補助金を効率的に配分すべきと感じる。麦豆類には稲作より補助率を高く設定することや裏作(油脂作物)への奨励金による作付面積増加で、輸入農産物の数量削減が図られるのではないか。

 下仁田特産のコンニャクは、山間部の伝統業種として江戸・明治・大正と、南牧を中心とした山村で細々と栽培され続けた。昭和初期に生糸価格が暴落する中、村々にある生糸揚返し水車を利用し、荒粉から精粉に加工する道具や技術が開発され、昭和10年代コンニャクは暴騰、農家は養蚕生糸を減らしコンニャク栽培へ移行した。

 現在、農家が生玉30キロ4千円(価格変動あり)前後で販売し、加工業者が荒粉(生芋をスライス乾燥)から精粉に加工し、精粉は20キロ4万円前後で相場が立ち取り引きされる。

 TPP参加で関税ゼロのコンニャク荒粉・精粉が輸入されると生産農家が価格面で対抗できなくなる。このため、農業団体のTPP交渉反対表明や生産者団体のTPP反対署名活動が始まることになった。

 コンニャク荒粉・精粉を関税を払い輸入しているのは沖縄で、それ以外の製造業者は国産の高品質な精粉を利用してコンニャク製品を製造販売している。

 商品にはライフサイクルがあり、短いものは数カ月、長くは数百年とさまざまだ。コンニャクが下仁田の名産品として生き続けるには新規需要の開拓や新商品開発をおろそかにしてはなるまい。






(上毛新聞 2011年4月4日掲載)